「ワンフレーズ政治」「わかりやすい政治」からそろそろ卒業してみませんか
連載 インタビュールポ 平松邦夫市長と「もうひとつの大阪」 第一回

現代ビジネス 2010/12/17

 大阪が軋んでいる。摩擦の源にはふたつの自治体があり、2人の首長がいる。大阪府には橋下徹知事(41)。大阪市には平松邦夫市長(62)。

 両者の対立は、橋下知事の提唱する「大阪都構想」に端を発しているが、背景には「道府県と政令指定都市」というそもそも微妙な関係があり、さらには、2人の社会観・政治観・文化観・メディア観・・・あらゆる価値観の相違が横たわる。

 驚異的な支持率を誇る橋下知事の「言い分」は、連日マスメディアが伝えている。だが、もう一方の当事者である平松市長とは、どういう人物なのか。どんな考えを持ち、どう動き、何を変えようとしているのか。マスメディアからは聞こえてこない彼の肉声を聞いてみたいと、インタビューを重ねた。これから、そこで語られた言葉を連載でお伝えするわけだが、その前にまずはプロローグとして、2人の関係を振り返っておこう。

取材・文:松本創


■「府市合わせの構図」

 2010年9月9日、大阪府知事公館。「大手前」の町名が表すとおり、眼前に大阪城天守閣を望む府庁舎群の一角。こぢんまりとした瀟洒な大正建築に、まだ夏も盛りかというほど厳しい残暑の陽射しが照りつけていた。門は閉ざされ、外からはうかがい知れなかったが、一歩館内に入れば、戸外の猛暑にも劣らぬ異様な熱気が満ちていた。

1階のサロンに100人近い記者やカメラマンが押し合うように居並び、廊下にあふれた府や市の職員たちはペンと資料を手にモニターを見つめている。

 視線の先に2人の主役が現れた。ふだんは迎賓や式典などのセレモニーが粛々と行われるこの部屋で、予定調和なしの激しい論戦が始まろうとしていた。

 橋下徹・大阪府知事と平松邦夫・大阪市長。ともに大阪という街で首長の職を担う2人は、マスメディア上で対立を深めていた。直接向き合っての「意見交換会」は7ヵ月ぶり。2月22日に開かれた前回とは逆に、橋下からの申し入れに平松が応じて実現した。

 テーマは「今後の府政・市政について」。だが事実上は、橋下が掲げる「大阪都構想」という名の府市再編論をめぐっての公開討論である。 大阪市を解体し、府と市を一本化したい橋下と、これを阻止し、別の形で府市連携を進めるべきだと考える平松。今年に入って橋下が都構想をぶち上げたことから、方向性の違いが顕在化し、急速に関係が冷え込んでいった。久々の対話は当然激しい応酬が予想され、在阪マスメディアはこぞって速報や中継の態勢を取った。

 『大阪の未来は』。討論を完全収録して流したNHKは番組タイトルにそううたった。「犬猿の仲」の2人による"どつき合い"を臨場感たっぷりに伝えたいという報道的興味もさることながら、この街はほんとうのところ、どこへ向かうのか・・・という期待と不安がない交ぜになった関心を、その場にいる誰もが抱いていた。


■「そこが市長と僕との決定的な違い」

 午後1時。冒頭あいさつに立った橋下の口調はまだ穏やかで、笑みすら漏れた。が、その内容はといえば「何でもかんでも合意できるとはこれっぽっちも思っていない。今日は、僕と市長の考え方の根本的な違いが府民の皆さんに伝わればいい。根本的な違いがあればまとまらないと思うが、まとめられる部分があれば全くやぶさかではない」と、いきなり挑発的だった。。

 これを受けた平松は「(前日まで視察していた)台湾から帰国早々お疲れさまです」と21歳下の相手を労いつつ、「府と市の関係がこれほどクローズアップされた例はない。それぞれの違いが何に起因するのか、それは乗り越えられないのか。私は大阪市長として、市民を守る立場にある。知事のほんとうの思いはどこにあるのかを聞きたい」と応じた。

 毎日放送(MBS)のアナウンサー出身であり、報道番組で長くキャスターを務めた経験から身に付いた、落ち着きある発声と語り口。現代思想家の内田樹が特別な敬意を込めて「ジェントルマン」と評した柔らかな物腰は、時に「政治家としてはスマート過ぎる」と言われることもある。

 しかし、議論は予想通り激しいものになった。いや、「激しくすれ違った」と言った方が正しい。1時間半の予定時間が過ぎ、記者会見用に設定された30分にずれ込んでも、2人の主張は延々と交わることのない線を描き続けた。最後まで互いに声を荒げることもなく、穏やかな口調を保ってはいたが、飛び交う言葉はどんどん熱を帯びていった。

 平松はまず具体的な行政課題を問うことから始めた。あいりん総合センターの耐震化・建て替え、特別支援学校への補助金支出。府が担うべき責任を果たしていないではないか、と。

 橋下は一応それに答えつつも、「府と市が一緒になれば解決できる」と得意の制度論に持ち込み、ここぞとばかりに持論を展開した。

 あらゆる論題について二者択一か、それに類する「分かりやすい」問いを立て、平松に答えを迫る。

 空港、港湾、鉄道、高速道路・・・それぞれの事業は基礎自治体と広域行政体のどちらがやるべきと考えるか。区長の職は政治家の仕事か行政マンの仕事か。区長公選制を検討しないのはなぜか。最も重要な行政行為は(自分は予算編成だとした上で)何だと思うか・・・。

 詰問調のディベート論法で問いを重ね、答えを引き出すと、橋下はすかさずこんなフレーズで一蹴する。「そこが市長と僕の決定的な違い」「ここでまた根本的な違いが出た」「僕は『あるべき論』を考え、市長は現行制度を前提にする」。つまり、違いを強調すること。それこそが狙いだった。

 「まとめるのはやぶさかではない」とは言いながら、自ら歩み寄るつもりは最初からない。事前の報道によれば、「完膚なきまでに叩きのめす」と周囲に語っていたという。

 平松は、「制度を変えればすべてうまく行くように語るのはおかしい」「政治家として主張するばかりではなく、知事としての責任をまず果たしてほしい」と何度も正論で釘を刺したが、時に詭弁をもいとわない橋下の強引な問いに、時々言いよどむ。「そういう話じゃなくて・・・」といなしたり、答えを留保する場面も目立った。


■口撃に「乗らない」流儀

 攻める橋下、かわす平松。そう映ってしまうのは否めない。これまでテレビや新聞紙上で繰り広げられてきた構図と同じだ。マスメディアがどんな言葉や絵を欲しているかを、本能ともいうべき鋭さで察知し、常に敵を作って、分かりやすい構図と表現でアジテーションしてみせる・・・。そうした橋下の巧みさは、平松も認めざるを得ない。>

 意見交換会からひと月ほど経った頃、「ああいう場は不利だと思いませんか」と尋ねた筆者に、平松は「まあ、あれが彼のいつものやり方だから・・・。でも僕、ようガマンしてたでしょ」と笑った。

 一方的に"口撃"を強める橋下の攻め手に「乗らない」という形で自分の流儀を貫くしかない。平松には、そんな信念がある。たとえば、哲学者で大阪大学総長の鷲田清一や前出の内田らと教育について語り合った近著『おせっかい教育論』でこんなふうに述べている。

< ・・・橋下(徹)知事とは同じ土俵に乗らない、乗る必要ないと思える心と、「人間は本来、多様性があるから生きていく面白さがあるんや」という開き直りね、そういうものを内田ワールドから学んだんですよ。

 ・・・メディアを中心に、あらゆる出来事を「ひとこと」で決めつけることこそ「知識人」であるかのように錯覚させる傾向が見受けられます。(中略)まるで一秒でも早く答えなければならないクイズのように、実社会でも条件反射的な受け答えを競う風潮が蔓延してしまっていることに危惧を覚えることが多々あります。 >

 こうした発言は、橋下式論法への反発であると同時に、現代のマスメディアが志向する「分かりやすさ」、言い換えればポピュリズム的言説への警鐘でもある。ワンフレーズを切り取るコメント、レッテル貼り、対立を煽る演出・・・そんなことで政治や行政のほんとうに大事なところは語れないだろう、と。

 ただそれだけに、平松の言葉はマスメディアには乗りにくい。その動向が伝えられるのは、ほとんどの場合、「対橋下」の構図においてである。だが、それでほんとうにいいのだろうか。


■突然の変心

 そもそも、平松と橋下の関係は最初からこうだったわけではない。ともに民間出身の改革者として役所に乗り込んだ二人は、ほんの1年前まで「府市連携」で歩調を合わせていた。歴史的に対立し、「府と市で府市合わせ(不幸せ)」とまで揶揄された府と市の関係からすれば、「蜜月」と言っていいほどの関係だった。

 バブル崩壊後に大阪市の第3セクターが建設し、巨額の負債を抱えて破綻した大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)は、橋下が購入を決断し、府の分庁舎とすることで、市の負担軽減をアシストした。その過程で平松は府議会へ出向き、本会議場で府議の質疑に答えている。

 府市の関係からすれば、歴史的な出来事だった。橋下は「いやあ、演壇の市長はかっこよかったです。市長と僕、市役所、府庁、府議会、市議会、みんな集まって大阪のことを考えるエネルギーを感じました」と、熱い称賛のコメントを新聞に残している。

 また、二重行政の解消を目指した水道事業の統合案をめぐっては、「去年の夏ごろは毎日のように何時間も電話で話し合ってたんですよ」と、平松は振り返る。他市町の反対で結局実現はしなかったものの、2人の方向性は政策レベルでも合致していたのだ。

 それが今年に入って、橋下は突如、矛先を平松に向けた。府市再編を最初に公式に口にしたのは1月12日。「アジアとの競争力を持つには(行政の)規模が必要。府と市は財布を一つにすべきだ」「一回(大阪市を)ぶち壊して新たな大阪を作っていく」と記者会見で語った。

 その数日後、ある会合の席で平松と同席した筆者は、「なんで突然あんなことを言い始めたのか・・・。性急で、何を考えているか分からないところが彼にはある」という戸惑いを聞いている。

 平松は、自身の会見で「早くコメンテーターから卒業して、責任ある知事としてものを言ってほしい」「府県はこうあるべし、関西州はこうあるべしと国に対して言っていただきたい」と反論。以後、「橋下が仕掛け、平松がいなす」のやり取りは、日を追ってエスカレートしていく。

 基本的には「挑発に乗らない」姿勢を貫く平松も、さすがに最近は、はっきり反橋下・反「都構想」を打ち出すことが増えた。ある政治集会では、笑いにくるんでこんな話を披露している。「少し前までは、街で市民と話をすると『市長、橋下知事と仲良うしいや』と言われたもんですが、最近は『市長、負けたらあかんで!』と声が掛かるようになりました(笑)」。

 さらに、就任3年を目前にした新聞各紙のインタビューでは、来年4月の大阪市議選をにらみ、橋下が率いる地域政党「大阪維新の会」に宣戦布告した。「市民のため、(維新の会の獲得議席は)ゼロになってほしい」(12月15日付・毎日新聞)。「(維新の会が議席の過半数を占めた場合)市長として運営できないという判断になるだろう」(同・読売新聞)。


■「不幸せ」は乗り越えられるか

 だが、無用に対立を深め、行政や市民生活を混乱に陥れることは平松の本意ではない。9月の意見交換会では橋下に攻め入られながらも、何とか相手をいさめようと、こう語った。

「府市で連携できることはまだまだたくさんある。大阪がしんどくて、困っている人が山ほどいる時に、知事はなぜ制度論を持ち出すのか。なぜ国ではなく、市を攻撃する方向へ向かうのか」。コップの中で争っている場合ではない。その思いは、今に至るまで変わっていない。

 対して、橋下はますます平松と大阪市への攻撃姿勢を強めている。最近では、河村たかし名古屋市長の「中京都構想」との連携を打ち出し、都構想をテーマに、民主・自民両党へ公開討論を申し入れる構えも見せる。維新の会の大阪市議選での勝利を前提としつつ、市長へのくら替え出馬も口にし始めた。これまでもそうだったように、橋下の打ち上げる「構想」や「観測気球」がメディア上に踊り、流れが作られていくのだろうか。

 「選挙が2本ある(首長が2人いる)のが大阪の不幸だ」と橋下は主張する。だが、さまざまな課題を抱える大阪の進むべき方向、さらには地方自治の将来像を考える時に"覇権争い"の構図しか描けないこと、それも一方の発言を軸にした動きしか伝えられないことこそが、府民・市民にとっての「不幸せ」だと言えないだろうか。さらには、それが政治の不毛を生む原因になってはいないだろうか。

 平松は12月19日で就任3年を迎える。その「ひとことでは語れない」政治信念と大阪の展望を聞くため、筆者は4回計8時間のインタビューを行った。この連載インタビューでは、マスメディアを席巻する橋下的言説とは異なる次元から、平松邦夫という人間像と考え方に迫り、「もう一つの大阪」を明らかにしていく。

(文中敬称略)

以降 第2回 へ。

平松 邦夫(ひらまつ・くにお)
1948年(昭和23)生まれ。同志社大学法学部卒業後の1971年(昭和46)、毎日放送にアナウンサーとして入社。ローカルワイドニュース「MBSナウ」のキャスターを18年7ヵ月務める。北米支局長、役員室長などを経て、2007年11月の大阪市長選に民主党の支援を受けて出馬。現職を破り、第18代市長に就任。44年に渡って「助役から市長」の流れが続いていた大阪市では戦後初の民間出身市長

松本 創(まつもと・はじむ)
1970年(昭和45)生まれ。神戸新聞記者を経て、フリーランスのライター/編集者。関西を拠点に、政治・行政、都市や文化などをテーマに取材し、人物ルポやインタビュー、コラムなどを執筆している。