【大阪ダブル選】記者座談会(前編)
ケンカ上手橋下戦術
「ブラック政党ですわ」議員に過酷ノルマ、雨の中4時間ビラまき入院も

産経WEST 2015年11月30日

 11月22日に投開票された大阪府知事、大阪市長のダブル選はいずれも大阪維新の会公認の松井一郎氏、吉村洋文氏が自民党推薦候補などに大差をつけて勝利した。大阪都構想の住民投票で敗北し、大阪維新の橋下徹代表が政界引退を表明したのはわずか半年前。どん底の状態から大阪維新はどのようにして這い上がったのか。橋下氏はどう動き、圧勝劇を引き寄せたのか。府政、市政の担当記者が振り返った。


「男前だから女性票集まる」

 A「知事選はほぼダブルスコア、市長選も20万票近く差がついた。ここまでの大差になるとは、選挙前には予想されていなかった」

 B「特に市長選だね。市民を対象にした都構想の住民投票で、大阪維新が僅差(きんさ)とはいえ、敗北したのがわずか半年前。都構想再挑戦を掲げて臨んだ市長選も、『大阪維新対自民党を中心とした非維新』という同じ構図だった。接戦になるという見方が強かった」

 C「看板政策の都構想が廃案に追い込まれ、橋下さんも政界引退を表明した。住民投票に敗れた夜、会見場の隣の部屋にいた議員の中には、涙を流す人もいたほど。大阪維新は絶望的な状況だった」

 D「その住民投票で反対派の先頭に立ち、橋下さんとテレビなどで論戦を繰り広げたのが、自民推薦で市長選に出馬した柳本顕さん。京都大出身で頭が切れる自民のエース。橋下さんとの対決で名前も売れ、能力は橋下さんも認めていた。早くから柳本さんへの出馬待望論は高かった」  C「大阪維新にとっては手強い相手。一時は橋下さんの後継候補擁立を見送ることも検討されたが、白羽の矢を立てられたのが吉村さん。弁護士出身で市議、国会議員として活動しているが、柳本さんと比べても知名度で遅れを取っているとみられていた。ましてや、橋下さんとは比べようもない。実際、市議からくら替えした昨年12月の衆院選では小選挙区で敗れ、比例復活している」

 E「『男前だから女性票は集まるんじゃないか』という声もあったが…。吉村さんの知名度不足はダブル選を通じての大阪維新最大の懸念材料だった。それを補ったのは橋下さんだった」>

>

橋下氏「自分の選挙以上にやる」

 A「大阪維新は当初から、知事選は現職の松井さんが『負けるはずがない』と踏んでいた。市長選に照準を絞り、戦力を集中させた。橋下さんは市長選告示後は一度も市外に出ず、松井さんも市内での活動がほとんどだった」

 F「特に住民投票で負けた区を重点的に回った。市内24区のうち、住吉区や平野区など市南部の13区で反対が賛成を上回った。『この辺りを掘り起こせなければ』という危機感があった。大阪維新が発表した活動予定では、約2週間の市長選で橋下さんがこなした演説回数は約100回。『自分の選挙以上にやる』という決意を示していたが、実際その通りだった」

 E「当初は吉村さんを橋下さんと並ばせ、顔を売っていった。橋下さんは『吉村、いい男でしょう』と持ち上げ、吉村さんが選挙戦で着続けたダウンジャケットをいじったりした。『あれだけ白のダウンが似合う男はいない。白って買わないですよ、よっぽど自分に自信がないと。松井知事が着るのを想像してみてくださいよ。100万円出して1日で50万円利息取るような人に見えるでしょ。僕が着たら雪だるまみたいになってしまう』といった具合に、知事をネタに笑いを誘っていた」

 F「そのうえで『憎らしい男前だけど、性格がいいんです。それに仕事もできる』と評価し、『市長としての能力は僕よりも上』と太鼓判を押す。『橋下さんがそこまでいうなら』と吉村さんに投票した人は多かったのではないか」


露出絞り「橋下待望論」醸成?

 B「自民推薦候補を共産党が自主支援する相手陣営も、『自民と共産が手を組んで改革はできない』とばっさり。自民や共産よりも自身がやってきた改革の方がよほどマシだといって、『どちらがいいか選んで』と迫る。橋下さんの真骨頂が発揮されたと思う」

 A「『皆さんのおかげで8年間政治ができました』とお礼を言って深々と頭も下げていた」

 D「あれは効いたと思う。『橋下さん辞めないで』という声もよく聞いた。『市民には、都構想を反対多数にして橋下さんを辞めさせた負い目があるのでは』という見方もあったが、そうした空気も一定程度影響したかもしれない」

 C「振り返れば、住民投票で敗北した夜の記者会見が大きなポイントだった。『市民に重大な判断をしてもらった』と感謝し、自身が間違っていたと政界引退を表明。潔さを強烈に印象づけた。反対論には納得できない部分が多々あっただろうが、あの場で反対派やメディアの批判を展開していたら、今回の圧勝劇は生まれなかっただろう」

 A「松井さんが明かしたところによれば、6月にあった安倍晋三首相や菅義偉(よしひで)官房長官との会食の場でも、総理から『潔さゆえに橋下徹という政治家への期待感はあるんじゃないの』と声をかけられたという話だ。松井さんは『おべんちゃらかもしれないが、僕も橋下もうれしかった』と語っていた」


 E「住民投票後、メディアの取材に応じる機会も減らした。露出を絞って『橋下待望論』を醸成していったのだろう。すべて、その後の仕掛けのための布石だったのではという気すらする」

すべて橋下氏の計算通りか

 B「大阪維新は自民が提案していた大阪戦略調整会議(大阪会議)の設置に賛成するなど、非維新へ歩み寄るような姿勢もみせた。でも、結局『大阪会議は都構想の対案かどうか』といったことや、話し合いの進め方、議題の選定などをめぐって両者の関係は泥沼化。橋下さんが大阪会議を『ポンコツ会議だ』とののしるなど、対立はかえって深まっていった」

 C「都構想への再挑戦を表明したのは、そんな状況が続いていた8月末。タイミングを見計らっていたようだった。『話し合いでは二重行政は解消できないことがはっきりした。だから、制度そのものを変える都構想が必要なんだ』という理屈は、有権者に分かりやすかったように思う」

 A「同じころ、橋下さんと松井さんは維新の党を離党し、大阪維新を母体とした国政政党結成も表明した。大阪純化≠ヘ、ダブル選を戦う一つの武器になった」

 D「ただ、政党交付金をめぐる維新の党との争いなどはマイナスになりかねなかった。相手陣営からも『金のぶんどり合戦をしている』『維新がやっているのは都構想でなく党抗争だ』などと批判された。だが、産経新聞の世論調査では新党『おおさか維新の会』の支持率はトップ。大阪人は『橋下さんは東京の政治家や永田町にも一歩も引かずに戦っている』と受け取り、心をつかまれたということだろう」

 B「離党のきっかけは、山形市長選の対応をめぐる維新の党幹部への不満だったが、橋下さんや松井さんはもともと、民主党出身者らとは肌が合わないところもあったと思う。都構想再挑戦と国政政党結成のタイミングを以前から図っていたということなのか」

 E「ちゃんと計算して行動しているという橋下さんだから、一気にメディアの注目を引きつけようという狙いがあったのではないか。実際、この時期に行われ、ダブル選の前哨戦≠ニして注目されていた大阪・枚方市長選にも勝つことができた。どん底の状態でまた負けていたら、所属議員らの士気低下は避けられなかった。結局、橋下さんの作戦勝ちだったという気がする」


握手は1日300人握手、電話は600件

 B「枚方市長選に続き、9月の東大阪市議選でも維新は躍進した。いずれも所属議員総出の選挙運動を展開した。ダブル選でも、街頭では維新カラーの緑が目立っていたように思う」

 C「幹部は『大阪市内に骨を埋める気でやれ』と大号令をかけ、市外の議員や、東京や九州を含む府外からの応援議員を市内に集中させた。結果を受けて幹部は『戦略に間違いはなかった』と満足そうな表情だった」

 F「議員に課されたノルマも過酷だった。1日あたり300人との握手、電話は600件、街頭演説は10カ所するように決められていた。ノルマ達成もランキングにして、上位の人を会議で読み上げ、未達成の人には個別に幹部から注意が入った」

 B「住民投票のときは、うその活動報告をした議員もいた。そんな油断が敗北につながったという危機意識があったのだろう」

 C「幹部が事務所に抜き打ち検査にいくほどの徹底ぶりで、夕方に事務員を帰らせていたところは、どやしつけられた。60代のベテラン市議は、雨の中4時間もビラをまいて、2回も入院したとか。持病の腰痛を麻酔注射で抑えて運動していた議員もいた。『ブラック政党ですわ』と自嘲気味に笑っていたが…」

 D「選挙期間中、城東区での街頭演説中に、40代の男が模造刀を振り回して乱入するという事件があった。その場で切りつけられそうになった市議は一目散に逃げ、難を逃れたらしいが、内部では『切られとったら票が増えていたのに』『これが本当の身を切る改革』という声も上がったらしい」

 E「それだけ危機感があったということだろうか。ただ、大阪維新が住民投票後の活動で、支持基盤をしっかり固めたことは間違いないだろう。今回の電話作戦などで新たな支持層も発掘できただろうし、非維新陣営が巻き返すのはそう簡単ではない」


 大阪維新の勢いに飲み込まれた形の非維新陣営。惨敗の原因は何だったのか。政界引退する橋下氏の今後は。後編では今後の大阪政界の見通しにも触れる。