大阪市会議員(自民党)活動外伝 2015年11月30日
自らの責任を痛感している。
5月17日以降、「ポスト都構想」の行方を誰もが注目していた。この半年、その姿を明確に提示できなかった点については、市長選挙直前まで大阪市会で維新に次ぐ第二会派である自民党大阪市会議員団の幹事長を務めていた私自身に責任がある。
選挙後、自民党府議団総会前に花谷府議団幹事長と二人で少しお話する時間があった。「今回のW選挙は、特別区設置協議会、住民投票、大阪会議〜と府議会と大阪市会、私と柳本さんとで対応してきたことに対する一つの評価と受け止めなければならない。」と。その通りである。
橋下・松井府政、或は橋下市政に対して嫌悪感を頂いている方々は、維新がトップであることが変わればそれで良いという感覚を持ち合わせられることもあるだろう。現場の混乱やそれに伴う経済状況の悪化や教育の混乱を目の当たりにしていれば、「まっとうな大阪」という言葉から推察できる様に、少なくとも最悪な政治状況から脱却し、地に足着いた「まともな府政・市政」を求める流れは不思議ではない。
しかし、事前の世論調査などでも明確になっていた様に、橋下市政を評価するという人は6割前後の域まで達している。良くなっていると感じている人も少なくない。その方々に対しては、「まっとうな大阪」は響く言葉にはなり得なかったと言わなければならない。
そして、評価する方々の中で維新以外のトップを求める層があっても、「ポスト都構想」を少なくとも明確に提示できなければ、現状で良いのではないかという意思表示になってしまう危機を重く受け止める必要があったのではないかと省みる。
実は、都構想という創られた偶像は余りにも大きく「ポスト都構想」を明確に示すことは容易ではないのも事実である。我々は「制度ではなく政策で」「しくみではなくなかみです」と訴えてきたが、華々しい制度論に対して具体の政策の積み重ねはどうしても地味にしか映らない。
また、(別途のちの投稿で触れることになると思われる)大阪会議や総合区、更には市政改革の方向性などについても、内部では議論を重ね一定の考え方を示してきたものの、アピール力のある形での発信ができなかったことで「ポスト都構想」を提示していたとの印象を与えることはできていなかった。
現実的には「ポスト都構想」は構想ではなく、政策の積み重ねによる「大阪の未来像」なのだと感じる。よって、「つながる大阪」も一つの答えであるはずなのだ。しかし、これでは弱い。弱かったのだ。結果として、「ポスト都構想」が副首都化をいう不可解な言葉に変化をしながら「都構想議論」として復活してしまうことには忸怩たる思いがある。どうせなら、ウソ偽りであったとしても「ポスト都構想」の虚像を創りあげて発信する必要があったのかもしれない、とすら感じてしまう。
いずれにしても、「ポスト都構想」を問うはずであったW選挙において、橋下氏のいない「都構想議論」の復活をもたらす選挙結果となった事に対して、今後にも引きずる責任を感じるところである。