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未曽有の地震と津波がもたらした、��計上の及ばぬ��被害の復元復興について��思い計る作業に並行して、私たちはもう一つ別の復元復興を志さねばならないのではないでしょうか。それは六十五年前の敗戦の後今日まで続いてきた平和がもたらした、日本という国、日本人という民族の本質的な悪しき変化、��堕落の克服と復興です。
��その内訳は、��アメリカという間接的な支配者の元に甘んじ培われてきた安易な他力本願が培養した平和の毒ともいえる、いたずらな繁栄に隠された日本民族の無気力化による衰退、価値観の堕落です。のちに詳しく述べますが。かつては在り得なかった現代社会の諸々のおぞましい出来事が、��国民を含めた国家全体の衰退堕落を証しています。
� 峽彎紊竜擇个漫廖追當未覆蕁峽廚蠱里譴漫廚�、「甚大な」でしょう。
�◆嵌鏗欧良�元復興」…被害を復元する?被害を復元すると、被害のあった状態に戻る。
��「思い計る」…これは必要ない。「復興の作業に並行して」でいいでしょう。
�ぁ崑塚遒旅酩�と復興」…堕落の克服というのはあるかな?あるかもしれないが、堕落の復興という言葉はないでしょう。堕落を復興してはいけない。
�ァ屬修瞭睫�」…これも、普通は使わない。普通なら「具体的には」とか「すなわち」かな。
石原センセは、国会での質問の中で、日本国憲法の条文において、助詞の使い方が慣用に従っていない、とかいっていましたが、ご本人は相当慣用を無視している。
言葉は、だれかに何かを伝えるための手段で、そのためにはルール(文法や慣用)がないと、いけない。しかし、そのルールを尊重しつつも、「何か」を正しく伝えるために、あえてルールから外れた表現をする、というのもありだと思います。詩人はそういうことをやっているのでしょう。小説家もそういうことをやってもいいか。しかし、政治家がそれをやってはいけないのでは?
さて次は、
�Α屮▲瓮螢�という〜衰退、価値観の堕落です。」…ずいぶん長い修飾ですね。しかも、何を修飾しているのか、よくわからない。
修飾するというのは、修飾される言葉の内容を限定することですから、修飾する言葉自体は、明確でなければならないでしょう。たとえば、「青い海」という場合、「青い」が「海」を修飾し、限定しますが、「青い」ということの意味が明らかだから、限定の効果がある。「アメリカという〜」以下の内容は、「のちに詳しく述べる」、ここでは要約して述べるのはいいとしても、この段階では内容が明確でないので、修飾として使うのはおかしい。
�А峭駝韻魎泙瓩森餡帆澗里凌蠡狢塚遏廖長駝韻魎泙瓩覆す餡箸辰討△襪里�ね、と思ってしまいました。「国民の堕落と、国家の衰退」が普通の表現か?
次に続く2つのパラグラフは以下の通り。
今回の災害が日本を震撼させたとき、私はその印象について問われ、これは「天罰」ではなかろうかと発言し、一部の人々の誤解と顰蹙を買いました��が、その折の発言は、ことの大きさにたじろぎ国家としてこれをどう受け止めるかを思ってのことでした��が。��しかしその後現地に出向いて目にした惨状を踏まえれば、直接の被害を受けた方々にとっては胸にも刺さる言葉と感じてお詫びしました��が、��しかしなお��あの言葉が表象するように、私たちはこの出来事に国家全体、国民全体で向かい合い、国民の一人一人がこれからの自らの人生の中の事柄としてしっかり受け止めなければと思います。
�─屬�」「しかし」の繰り返し…接続助詞の「が」順接にも逆接にも使われるので、なるべく使わないほうがいい、文章を短く切って、接続詞をつかって文と文の関係を明確にすべき、と論文の書き方のような本に書いてあったと思います。
しかも、この文章における「しかし」は、純粋な逆接ではないような意味合いのような気がします。つまり、文と文との関係があいまいになっています。
��「あの言葉が表象するように」…一瞬、どの言葉かと思ってしまいます。「私たちは〜しっかり受け止めなければ」と表象(=象徴)している言葉とは?多分天罰発言のことでしょう。そうだとすれば、「あの言葉」=天罰発言が「表象」している内容が、一般の人々にわからなかったから、誤解と顰蹙を買ったのでしょう。まずは、あの言葉で「表現」したかったことをきちんと説明しなければならない。「表象」という言葉によって、「あの言葉」をあいまいなままに残しているように思われます。
��言い換えれば、この悲劇を踏まえて私たちは何か大きな反省を行い、復旧復興の作業の中で行われていく町並や生活インフラの復興に並行して、互いの人生、生活の中でものの考え方をいかに人間としてまともなものに変えていくかという��問題です。
��「言い換えれば〜問題です。」……「何を言い換えたのか」目的語が不明。何が「問題です」なのか、主語がない。
文章は意味が通じればそれでいいのだ、と言えばそれまでですが、文章のルールに従うことにより、自分の考えを読む人に正確に伝えることが出来る。あるいは、自分自身で、考えを明確にすることが出来るのです。この文章では、きちんとした言葉使いをしていないために、ものごとがあいなままに残されています。
こういう文章は、小説家なら許されるのかもしれませんが、政治家としては、いかがなものか?
「新・堕落論」は、何事かを論じているはずですが、このような文章では、何事かを論ずるのは無理じゃないですかね。
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