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機銃掃射

「新・堕落論」は2章からなっていて第1章が「平和の毒」。ここでは石原慎太郎の反米感情が剥き出しになっています。

冒頭に出てくるのが、石原慎太郎が、米軍機の機銃掃射にあった、という話です。

…警戒警報が鳴って下校の途中早くも到来した艦載機の機銃掃射に遭い、折から収穫期に近く背丈の伸びた麦畑の畝に飛び込んで逃れ、逃げまどう私たちがまだ背丈の伸びぬ子供と知りながら手軽な狩りのつもりで掃射してきた敵機のパイロットは、怖々仰ぎ眺めればこれまた成年に満たぬ若者でした。そして私の学友の一人は足に被弾し一生の不具ともなりました。

さらにその先、近くの森までたどり着こうと走る最中、また新しい爆音が迫り今度は芋畑の中で、身を隠すにも畝の浅い畑では覚悟して身を伏せながら機銃掃射を待ったが不思議に弾が来ない。恐る恐る顔を挙げて確かめれば頭上を褐色の胴体に白い縁取りの日の丸を描いた友軍機でした。

敵機を追う日本機を確かめた時の、ふるいつきたいような感動が忘れられない。あれは身にしみて感じとった国家というものの実感でした。

石原の反米感情の根底にあるのはこういう事実か、と最初は納得したのですが、友軍機が現れるところは、そんなに都合よくやってくるかね、という感じがありました。

ところが、怪しいと思って読むと、他にもいくつか疑問がわいてくる。

�‘�本軍の防空体制・迎撃体制はどうなっていたのだろうか。

警戒警報があって下校途中に、「艦載機」が飛来してしまうのでは、というのは、いかにもお粗末に見える。

�◆峇郎楜 廚噺世辰討い襪�、なぜ艦載機とわかったのか?

��この「艦載機」の飛来の目的はなんだったのか。

それはさておき、編隊で襲来したようではないので、偵察なのか?それとも、数機の編隊だったのか。

都市の爆撃であれば、B29の編隊に、戦闘機が護衛でつく、ということになるだろう。そういう形であれば、護衛の任務を放棄して、単独ないしは複数の戦闘機が別行動を取るはずはない。

�い覆次∋匐,鯀世辰�

遊び半分に狙ったというのは、ありえない話ではない。 しかし、一般的な戦闘行為とすれば、軍事施設、軍用輸送手段とか、あるいは軍用でなくても工場・倉庫とか、あるいは輸送施設・手段などを狙うほうが、目的に叶うのではないか。

人を狙うにしても、子供よりは大人、一般人よりは兵員を狙うほうがいい。人は的としては小さいし、動くものであるから、命中率は低いだろう。

機銃を下に向けて打つのだから、降下しているはず、しかもかなり低空で。「艦載機」は地面に激突する危険はないのか。

�ダ鐺�目的にてらして、機銃掃射は適切な行為だろうか。

偵察なら、機銃掃射などせず、さっさと任務を遂行して、帰還すべき。

たとえば、艦載機が軍の施設とか、工場の爆撃などを終わったあと、帰りがけの駄賃に子供を狙うというのは、あるかもしれない。しかし、機銃掃射はせいぜい数十秒しかできないらしいので、これで、銃弾を消耗してしまうと、万一日本機に攻撃されたら、応戦できなくなるかもしれない。

�ε┻,離僖ぅ蹈奪箸髻◆峩弔�みる」ことは可能だったのか。また、パイロットが若い、というところまで見えるのか?

下から見れば、敵機の下側しか見えないはず。パイロットの顔はみえない。横からみたのなら、見えないこともないが。コクピットを覆うガラス?に光が反射すれば、パイロットは見えないのではないか。

まあ、こんな疑問が出てきたので「知恵袋」で質問してみました。

さて、結論的には、知恵袋の回答を総合すると、石原の言うような事実はありえた、という事になると思います。

�〃找�警報なしで、いきなり米軍機が飛来する、ということもあった。

��当時のNHKの軍管区放送で、艦載機と明言していた。

��石原の文章から、米軍機は単独かと思ったのですが、他の石原の発言と照らし合わせると、複数機であるかもしれない。とすれば、偵察ではない。

空襲というと、東京大空襲のような、B−29の編隊による重爆撃を思い浮かべ、それを陸上戦闘機が護衛する、という形を想像してしまったのですが、昭和20年初夏ともなると、大都市の爆撃は概ね終わっているのか、軍施設や交通施設、公共施設を攻撃目標としたらしい。

�ぐ嫂淌�に子供を狙ったかどうか、はさておき、実際、子供である自分が狙われた、という証言がある。

�ゴ郎楜,竜―徳歇佑蓮愼�本国民に厭戦気分、敗戦意識』を叩きこむためのものだった。

ヨーロッパ戦線でも、連合国軍の戦闘爆撃機は猛威を奮っており、地上で動くものは救急車だろうが家畜だろうが民間人だろうがあたり構わず攻撃を受けている。こうすることで、「制空権は完全に連合国のものだ」「昼は移動できない」ということを知らしめることになる。

こういう目的であれば、機銃掃射の目標はなんでもいい、ということになりますね。

�θ�行機は、地上目視や旋回のため機を大きく傾けることがあるので可能。また、実際、パイロットをみた、という証言は複数ある。

ただし、年齢がわかる、とか、表情までみえるかどうかはわからない。見た人の思い込みである可能性もある。

というわけで、小生の疑いは、全部否定されたわけですが、その結果明らかになったことは、この時期、日本軍は、制海権も制空権も失っていた、米軍機はやりたい放題だった、ということです。

石原センセは、友軍機の飛来に感動し、頼もしく思ったのでしょうが、日本軍の実態はそんなものだった、ということですね。

これは、未確認ですが、回答の中で、「警戒警報が出る1時間くらい前に、日本軍の飛行機は上空へ逃げてしまう。兵力温存のためか、落とされるのを嫌ったのか。たぶん、レーダーでアメリカ軍機の襲来を察知した日本軍は飛行機を退避させた。日本機は、戦争末期迎撃などしていないといっていい。」というのがありました。


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