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隠居=小生が、なぜ石原慎太郎を正面から論じることにしたか、をお話しします。
「石原慎太郎 問題発言」でサイトを検索しているときに、たしかYahoo知恵袋だったと思うのですが、「石原の天罰発言を擁護する連中にたいして、どう反論すればいいか教えてください。」というような質問がありました。
それに対する回答がいくつもありましたが、どうも隠居が満足できる回答がありません。いい加減に切り上げようとした時に目に付いたのが「こんな調子では、石原擁護論に勝てないぞ。」という書き込み。うーん、そのとおりだ、と思いました。
また、石原天罰発言について、次のようなブログを発見しました。
「極東ブログ by Finalvent 石原慎太郎・東京都知事によるとされる「天罰」発言のこと」
ここでは、石原氏の問題発言はいつものことなので、気にも留めなかったが、きちんと報道されているかどうか、という観点から改めて見直した、とし、様々なメディアの報道を比較しながら、石原氏は天が罰を下したのは、日本国民に対してであって、直接の被災者に対してである、とは言っていない、と結論しています。
こういう冷静な議論には、脱帽せざるを得ません。しかし、天罰の対象が我欲にまみれた日本国民である、彼の真意が「日本人は津波をうまく利用して、我欲を1回洗い落とす必要がある。」であるとしても、この発言に対する違和感のようなものが残ります。うーむ、これは一体何なのだろう。
(この違和感が、慎太郎の高みの見物的態度にある、と気づいたのは、あとの話。)
もう一つは、慎太郎の問題発言の多さです([石原慎太郎の監視小屋」ご参照)。隠居はあらためて、慎太郎の異常さに驚きました。数も多ければ種類も豊富です。そして、どうして、このような人物がいままで放置されてきたのだろう、と思いました。驚きあきれるを通り越して、不思議に思った、という感じでした。
うーむ、石原慎太郎なんて、と馬鹿にしていたが、どうもこれは容易ならぬこことだ。一度正面からとりあげて、徹底的に研究する必要がある。と思ったのです。
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