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孫子

「司馬遼太郎の慨嘆」より。

かつて日露戦争での日本海海戦で日本にパーフェクトな勝利をもたらした天才参謀の秋山真之が言ったように理想の戦いとして「戦わずして勝つ」ためにこそ核を含めて、強力な軍事力の保有は不可欠の世界となっているのです。

やれやれ、秋山真之がそういったかどうかは知りません。いや、きっと言ったでしょう。ただし、孫子の言葉の引用として。石原センセは、孫子を読んでいないんですね、きっと。

孫子の謀攻編にあります。

百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。

そもそも、戦争なんて軽々しくしてはならない、というのが、孫子の基本思想。。

石原先生は、なんだか、尖閣諸島で一戦も辞さない、みたいな景気のいいことを言っている。まあ、本人は、脅し程度に言っているつもりなんだろうが、相手がそう受け取るとは限らない。戦争を軽々しく言ってもいけない。

孫子曰わく、 兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。

戦争は、国家存亡の一大事、よく考察せよ、と言っている。

だから、勝てるかどうか、きちんと計算しなさい、とも言っている。。

夫れ未だ戦わずして廟算(びょうさん)して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るを況や算なきに於いてをや。吾れ此れを以てこれを観るに、勝負見(あら)わる。

彼れを知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。

石原センセの軍事に関する発言は、デタラメばかりだ、というのは、すでに述べたとおり。石原センセは、彼を知ることも、己を知ることも出来ないだろう。

凡そ用兵の法は、馳車千駟・革車千乗・帯甲十万、千里にして糧を饋(おく)るときは、則ち内外の費・賓客の用・膠漆の材・車甲の奉、日に千金を費やして、然る後に十万の師挙がる。
其の戦いを用(おこ)なうや久しければ則ち兵を鈍(つか)らせ鋭を挫く。城を攻むれば則ち力屈(つ)き、久しく師を暴(さら)さば則ち国用足らず。

要するに、今風にいえば戦争はカネがかかる。長期戦になったら、国の財政が持たない。

兵站の重要性を言っているとも言える。石原センセは、「新・堕落論」のなかで、横田基地のことを「たかが兵站基地」と兵站軽視の発言をしていることも、既に述べました。

やっぱり、石原センセには、孫子を読んでいただかなくちゃ。


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