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若い人たちのなかには、この本「新・堕落論」の題名が、坂口安吾の「堕落論」から取られている、ということを、ご存知ない方がおられるかもしれません。
坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、エッセイスト。(中略)純文学のみならず、歴史小説、推理小説、文芸から時代風俗まで広範に材を採るエッセイまで、多彩な領域にわたって活動した。終戦直後に発表した『堕落論』などにより時代の寵児となり、無頼派と呼ばれる作家の一人、その後の多くの作家にも影響を与えた。(Wikipedia)
1946年に発表した『堕落論』は終戦後の暗澹たる世相の中で、戦時中の倫理を否定し、「堕ちきること」を肯定して多大な反響を呼んだ。小説『白痴』との2作によって安吾は戦後の世相に大きな影響を与え、これによって人気作家となる。(Wikipedia)。
「堕落論」は、大変短いエッセイで、ネットの青空文庫でも読むことができます。小生も、昔、「堕落論」を読んだことがあります。正直言って、いまひとつわからなかった。。
石原慎太郎は、「『堕落論』と戦後」の節で、「堕落論」の冒頭部分を引用しています。
丁度その頃、坂口安吾は有名な「堕落論」を書きました。 「半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。」けなげな戦争未亡人も、やがては他の男に心を移す。「人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。」。この論文が当時評判になった所以は、要するに、天皇を神格化絶対化して遂行され破綻した戦争の末日本人が突きつけられた困惑を是とし、かつて奉じた信念へのうしろめたさに戸惑う国民に、あの狂気から醒めることの正当性を説いたということです。
(中略)
そのあと、日本が戦後の混乱から脱却して、世界第二の経済大国となり、「そしてさらに今、敗戦から65年という歳月の経過の末に、気づいてみればこの国は大きく傾き沈没しようとしてい、それを表象、象徴する出来事にこと欠きません。
さて、そのあとは、「それを表象、象徴する出来事?」が列挙されています。「官僚依存の自民党長期政権」、「厚生族」、「未解決の年金問題」、「個人の自我の形成が不十分」、「昭和維新のうた(この時代と今の世の有様が同じだとか)」、「藤原正彦氏『一学究の救国論 日本国民に告ぐ』」、「江藤淳『閉ざされた言語空間』」「『NOといえる日本』の米国での扱われ方」「学校で日本の近現代史を教えるべき」等々…これでこの節「『堕落論』と戦後」はおわり。
はて、「堕落論」はどこへ行ってしまったのだろう。
とりあえず、ずうっと読み進みますと、次の次の、その次の節「垂直な価値の基軸」で、再び「堕落論」が出てきます。
坂口安吾がかつて、当時の世相の変化を踏まえて書いた「堕落論」には世相が変わったので人間が変わったのではない」とあったが、今の日本の変化にそれがあてはまるものではとてもない。敗戦から六十五年の歳月を経て、この国では人間そのものの変質が露呈してきています。これはおそらく他の先進国にも途上国にも見られぬ現象に違いない。
それだけですか?石原は、それだけのことを言いたいがために、「堕落論」を引用したのですか。
坂口安吾「堕落論」の終わりの部分を引用します。
人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。(以下略)
「だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。」この言葉には、人間性に対する信頼があります。
それに対して石原は「この国では人間そのものの変質が露呈してきています。」と言い切っています。つまり、坂口安吾は間違っていた、といいたいのでしょうか。
しかし、本当にそうなのでしょうか。石原は、この本の中で、それを充分説明しているのでしょうか。
要するに石原は、題名をパクッただけではないのでしょうか。
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