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原爆死没者慰霊碑

「『核の傘』という幻」の冒頭部分を引用します。

アメリカによる日本統治は実に巧みに実に効果的にはこばれてきたものだとつくづく思います。

その象徴的な証左は広島の原爆死没者慰霊碑に記された「過ちは繰り返しませぬから」という自虐的な文言です。これでは主語は我々日本人ということになる。過ちを犯したのは、彼らアメリカ人ではないか。

この文章の解釈について論争があったことは、Wikipediaにも記載されています。それによれば、

この文章は、自身も被爆者である雑賀忠義広島大学教授(当時)が撰文・揮毫したもの。浜井信三広島市長が述べた「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」に準じたものであった。

(中略)

そして、なお雑賀による碑文の英訳は「Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil」で、主語は“We”(われわれは)、これは「広島市民」であると同時に「全ての人々」(世界市民である人類全体)を意味すると、雑賀が1952年11月に広島大学教養部での講義などで述べている。

自虐的であろうがなかろうが、文章を作った人がそういっているのですから、議論の余地はないでしょう。それに、石原は、この文章が、アメリカによる巧みな日本統治の結果である、ということを論証していません。

小生などは、この文章の主語が日本人であってもおかしくない、と思っているのです。欧米の帝国主義思想に習って朝鮮半島へ、満州へ、そして中国へと武力を伴って進出(侵略といってもいい)し、挙句の果てに、勝てる見込みのない米国との戦争を始め、その結果として原爆が投下されたのですから。

この戦争によってアジア・アフリカの植民地が独立できた、などという正当化はごまかしです。もしそうなら、なぜ、中国と争わねばならなかったのか、軍事的に占領した朝鮮、満州や、フィリピンその他東南アジア諸国から撤兵し、それらの国を独立させなかったのでしょうか。 軍事的に獲得した朝鮮・満州、あるいは中国の一部を手放したくなかったから、アメリカと戦わざるを得なかった、アメリカと戦争するために、資源が必要だったから、南方に進出しただけではないでしょうか。

満州、中国への進出は、陸軍の暴走ですが、それを、国民が支持していたのです。

12月8日、朝7時にラジオから流れてくる臨時ニュースで、日本の国民は初めて戦争状態に入ったことを知った。 その時、国民はみな歓喜に沸いたのである。アメリカに押さえつけられて背伸びが出来ない鬱屈感があった。イライラした生活から一気に「胸のつかえが降りた」という開放感に満たされたのだ。

(保坂正康「あの戦争は何だったのか」p.97)

もし、「大東亜共栄圏」、アジア諸国の植民地からの解放を言うなら、本来、戦うべき相手は、中国ではなくて、欧米諸国でしょう。国民は朝鮮・満州を占領し、中国と戦うことには正義がない、とうすうす感じていた。

しかし、相手は強大で、勝てるかどうかわからない。戦うべきか否か、国民は迷っていたのでしょう。そこで、開戦という決定がなされた。「国民はみな歓喜に沸いた」というのは、迷いが吹っ切れた、ということだと、小生は思います。

なにはともあれ、国民は一生懸命戦ったのです。いくら軍部が暴走しようと、兵隊が逃亡してしまえば、国民が工場で武器を作るのをサボれば、軍隊は戦いようがない。

そして、その結果が、1945年夏の原爆、敗戦なのです。原爆を招いたのは、日本国民なのです。勝てる見込みのない戦いをして、諸外国に迷惑をかけ、自らも甚大な被害をこうむり、多くの人々が亡くなりました。これで自虐的にならなければ、ならないほうがおかしいでしょう。

太平洋戦争は、一部の軍国主義者が国民を欺いた結果である、という「極東軍事裁判史観」は、その意味で間違っています。しかし、占領軍としては、日本国民全体を敵に回すよりは、一部軍国主義者だけを敵にするほうが、やりやすい。日本国民も、自分たちが悪人であるよりは、一部の軍国主義者に責任を転嫁できるほうがいい。

というわけで、日本国民は今に至るまで、先の大戦についての自らの責任を反省していません。ただ、無意識には、そのことがわかっている、それが、「(我々は)過ちは繰り返しませぬから」という碑文に表れたのだ、と思います。

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そうでした、言うのを忘れていました。

石原は、何も反省していません。


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