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おわりに

さて、ここまで、石原慎太郎が国政復帰・新党結成と言って、最終的には、日本維新の会に合流した経緯を見てきました。

その中で、小生は、

  1. 石原慎太郎の国政復帰のスローガンであるである「中央官僚支配の打破」は、容易なことではない。本気でやろうとしているのだろうか。
  2. 石原慎太郎の新党結成の決意が10月にずれ込んだのは、伸晃が総裁選に立候補していたからかもしれない。
  3. たちあがれ日本と、石原慎太郎は、その考え方が完全に一致している、とはいいがたい。
  4. 石原慎太郎が国会議員になるためには政党に所属する必要があった。彼は、たちあがれ日本を、そのために利用した、ということかもしれない。
  5. 維新の会に合流したのは、もしかしたら、彼が首相になりたかったから、かもしれない。
    そして
  6. 彼が新党結成・国政復帰したのは、都政からの逃避をカモフラージュするためであったかもしれない。

と述べました。

しかし、結局のところ、小生は、ああだ、こうだと憶測しているだけで、本当のところは、石原慎太郎ご本人に伺うしかないでしょう。もちろん、ご本人が正直に答えてくれるかどうかはわかりません。それに、ご本人も、どれほど意識的に決断しているかわかりませんし、いろいろな条件が重なって、これしかない、という決断になることもあり、どれが決定的な要因であるかも、わかりません。

そういう意味で、あれこれ憶測しても意味がない、という気がしないでもないのです。また、そういう憶測をして、人のことを悪く言うのは、小生は、どちらかと言えば、やりたくはないのです。

しかし、石原慎太郎の言うことを、彼の支持者の言うことを素直に受け取っていいものでしょうか。

少なくとも、本当のところはよくわからない、という気がするのですが。

(「新党結成から日本維新の会への合流まで」-おわり)

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