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忘れられた江戸の成熟

石原は、「忘れられた江戸の成熟」と題して、まずは

大脳生理学的にいえば異民族の混血は優れた人材を多く生むそうですが、日本人は徳川二百年の鎖国は限られた国土の中での徹底した混血をもたらしました。

といい、それゆえ、江戸時代には文化が成熟したといいたいようです。それを証する事例として、和算の関孝和をあげ、そのあとに次の文章が続きます。

手形、先物買い、デリバティブなどといった抽象経済を考え出したのはイギリス人などではなしに、それよりもはるかに早く大阪の米商人たちで、それで巨額の財をなした山形の豪商本間一族の三代目の本間光丘は神社に祀られていて彼が子孫のために書き残した先物商売の手引書は世界中で翻訳されて、現代のビジネスマンの格好のテキストとなっています。

大脳生理学と関孝和はさておき。

○手形の起源

手形はたしかにイギリス人が考え出したものではない。

現在の手形の起源であるが、12世紀頃のイタリアの商業都市で両替商が発行したものだといわれている。日本における現行の手形制度は、日本独自の制度が発展したものではなく、明治以降、ヨーロッパの制度を取り入れて発展させたものである。(Wikipedia「手形」)

さらにそれ以前、イスラームの世界にも手形はあったとか。

○先物・デリバティブ

小生、外国為替の先物取引には多少仕事で関わったが、これは厳密には「先渡し取引(forward)」らしい。「先物取引(futures)」は、厳密には、現物の決済を伴わず、売買の差金を決済する取引のことらしい。

そういう意味で「先物」はデリバティブ=金融派生商品の一種なのだそうだ。小生はオプションやスワップのようなものを、デリバティブだと思っていたが、違いましたね。

差金決済を含んだ世界初の先物取引は、1730年に大阪の堂島米会所で誕生した。

これ以前に、(1531年)ベルギーで世界初の商品取引所が開設されたが、ここでは現代でいう現物取引の先渡取引が行われていた。(Wikipedia「先物取引」)

このあたり、小生の理解でいいのか、ちょっと自信がないのだが、まあ、要するにデリバティブとしての先物取引は、日本が最初なのかもしれない。だが、現物決済から、差金決済へはほんのあと一息、というところだから、ヨーロッパでもその種の先物取引があったとしても不思議ではないだろう。

以上、お分かりになりますか。小生、うまく説明できたか、自信がありません。だいぶ端折った説明ですし、そもそも「先物」がわかる方があまりおられないんじゃないか。

石原センセも、どこまで、おわかりになっていたのかどうか…。

○本間光丘、本間宗久

本間光丘について。

本間 四郎三郎享保17年12月25日(1733年2月9日) - 享和元年6月1日(1801年7月11日))は、江戸時代、出羽酒田の豪商で、諱が光丘。

ただの豪商ではなく、新田開発、治水工事、防砂林の植林、灯台建設などもやっている。天明の飢饉に際して施しを行う、あるいは海防のためにと大砲10門を献じたり、公共のために私財を投じている。また、米沢藩の財政改革にも携わっている。

そして、確かに「光丘神社」という神社があります。

相場師として有名なのは、本間宗久で、四郎三郎の叔父にあたる人です。この人が本間宗久が書いたとされる書物は「本宗莫那剣」「三昧伝」「宗久翁秘録」「酒田戦術詳解」「本間宗久相場三昧伝」といったものがありますが、宗久自身が書いたものではなく後年、彼の来歴をもとに創作されたという説が有力です。

また、彼が考案したといわれる相場予測・分析の手法「酒田五法」は今日にも伝わり、まさに手引書に書かれています。しかし、これも本当に彼が考案したかは明らかでないし、「先物商売の手引書」というよりは、相場そのものの「テクニカル分析」=経験則に基づいて、過去の取引実績から将来の相場動向を予測する手法ですね。

石原慎太郎の文章を読むと、大阪の堂島では、小生がデリバティブという言葉から想像するようなオプションやスワップまで扱われていて、それに関する手引書ないしは解説書が存在していたかのようにも読めるが、とてもそんなことではない。

オプション、スワップは、難しい高等数学を使う金融工学とかなんかの産物で、手引書や解説書を読んでも小生にはとても理解できないでしょう。

やれやれ、石原の言うことは、いちいちきちんと確かめなければならない。

石原は日本人が優秀であった、と言いたいのだろう。まあ、確かに、明治維新後、日本が急速に近代化できたのは、江戸時代にそれなりの素地が出来上がっていたからだ、ということは言えるかもしれない。

しかし、これらの事例は、日本人が優秀かどうか、というよりも、大体、人類は同じようなことを考えるものだ、という程度のことではなかろうか。


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