トップページへ「石原慎太郎批判の概要」へ
「時事評論集」のトップへ前のページへ

石原慎太郎の責任とは、どういうものか

当然、石原慎太郎の責任を追及する声はありました。そのなかに、石原慎太郎は、反日デモによる被害を賠償せよ、というような声もありしたが、さすがにそれは無理でしょう。

被害についての直接的な責任は「暴徒」にあり、間接的には治安維持の責任のあった中国政府にあるでしょう。結局、被害者は泣き寝入りということになります。そういう人たちが石原慎太郎に賠償請求というのは、心情的には理解できますが、法的責任は問えない。

私的な財産の売買は原則自由である、したがって、東京都が尖閣諸島を買って何が悪い、というような話もあります。これもそのとおり。法的には問題はない。

だが、政治的責任とか、道義的責任はどうでしょうか。

そもそも、石原慎太郎は、東京都の知事であり、外交・防衛については、何もできない。中国で反日デモが起き、日系企業に被害が出ても、中国の監視船がこれまで以上に頻繁に尖閣諸島海域に出没しても、石原慎太郎は、何もしなくていいのです。もちろん、外交関係の悪化を改善しようとする必要もない。まあ、石原は、そんなことはやらないでしょうが。そして、権限がないのですからですから、責任もありません。

このように見てくると、石原慎太郎が、自分は安全なところにいて、無責任に吠えていた、ということがよくわかります。

ただ、石原の言動が、越権行為であるということは言えます。本来、外交・防衛という国の役割に余計な手出しをしてはならない。石原慎太郎は、国の方針に逆らい、尖閣諸島問題を顕在化させようとしました。独自の外交・防衛ができるとすれば、それは独立国に他なりません。石原は、日本国内に一つの独立国を作ろうとしている。つまりは、石原の行為は、国に対する反乱、ともいえるでしょう。

石原の言動は、法的には何の問題もない。だが、まともな政治家であるならば、自分の言動がどういう影響を及ぼし、どういう結果になるかを予測したうえで、発言ないし行動するでしょう。

石原慎太郎は、東京都の尖閣諸島購入発言が、こういう事態、日中関係の悪化、日系企業、日本人の損害発生を予想していたのでしょうか。予想していなかったのなら、読みが浅かったのであり、その責任は問われるでしょう。しかし、石原にはそういう認識はない。

産経新聞の記事より(一部引用)。

(石原慎太郎は)日本人への暴行にも発展している反日デモについては「酷い。これはテロ。民度が低い」と強く批判した。一方で「本質的に反権力、反体制のエネルギーだと思うが、共産党政権がうまい具合に矛先をそらして日本に向けさせており、作為的。やらせだ」と指摘した。

中国の状況は、石原慎太郎が、読みに入れなければならない与件です。石原慎太郎は、そういうことは当然わかったうえで、自分の言動がどういう結果になるかを予想し、そのうえで、自らの行動を決定しなければならない。それが、政治家の責任というものでしょう。ここで石原は、中国政府、中国の民衆に責任を転嫁して、傍観しています。

もし仮に、石原慎太郎が、自らの尖閣諸島購入発言の結果がこのようになることを予想していたのなら、なぜ、そうしたのでしょうか。それは、自分には関係がないから、被害が及ばないから、ということでしょうか。それとも、多少の悪影響・損害が発生しても、やむを得ない、と判断したのでしょうか。そうなると、彼の道義的責任が問われるような気がします。


リンク大歓迎!
このWebサイトはリンクフリーです。

次のページへ「時事評論集」のトップへ
「石原慎太郎批判の概要」へトップページへ