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その他の石原慎太郎弁護論について

さて、石原慎太郎の責任ではない、という意見のなかには、中国側の責任という意見がありました。たとえば、以下のようなものです。

1960年代後半から70年代前半に海底資源が見つかった。それ以降、中国は尖閣諸島の領有権を主張するようになった。そもそも中国が資源目当てに他国の領土を狙ってることが原因なのだから、日中関係を言うなら、尖閣問題を発生させている中国に責任がある。中国人が島に上陸したり、尖閣諸島沖で中国漁船衝突事件のようなものを起こしている。それ以前にも同様の事件が起きている。日本に喧嘩をふっかけて来ているのは中国なのだ。それを石原のせいだというのは問題のすり替えである。

たしかに、海底資源が見つかって以来、中国は尖閣諸島の領有権を主張するようになった、 らしい。らしい、というのは、おそらく、中国側はそうは言わないだろうから、という意味です。日本の立場からいえば…小生も日本の立場にいるので…「らしい」は要らない。

しかし、「すべての責任は相手側にある」とかいうのは、紛争当事国間で、よく言われることですね。アメリカと北朝鮮、イスラエルとパレスチナの間での応酬でよく言われます。小生には、こういう応酬が、子供のケンカで「○○ちゃんがぶった」「××ちゃんがつねったからだ」「○○ちゃんが僕のことをバカって言ったからだ」「××ちゃんがアホといったからだ」みたいなやり取りをするのと、大して変わらないと思うのです。

中国の膨張主義を非難するのは結構ですが、まるで、中国ばかりが悪い、日本は膨張主義でない、みたいな言い方はどうもいただけません。戦前の日本は、朝鮮半島から満州に進出し、中国へと戦線を拡大していったのですから。ソ連・満州の国境では、ノモンハン事件などという国境紛争を起こして、大敗しています。国なんて大体膨張主義だと思えばよろしい。

そういう、第三者的な見方ができないんでしょうかね。

「日中関係を言うなら、尖閣問題を発生させている中国に責任がある。」ということは、日本と中国の国対国でいうことであり、日本内部の責任を云々するとき、たとえば、石原慎太郎の責任か、野田首相の責任か、を問う場合には、これは通用しないのでは?

また、問題を発生させているのは中国、ということは、もともと、日中関係が、潜在的にはよくなかった、ということですね。今問題にしているのは、それをさらに悪化させたのはだれか、ということ、あえて、関係を悪化させる必要はあったのか、ということでしょう。

つまり、国の内部の責任問題を対外的な問題に、悪化させたことの責任問題をすでによくなかったという問題にすり替えているのだと思います。

そして、前にも述べましたように、中国の状況がどうのこうのというのは、石原が行動を決定するにあたって考慮しなければならない「与件」でしょう。中国側の膨張主義も、過去の経緯も同様です。そのことで石原の責任が軽減されるわけではない。

尖閣諸島中国漁船衝突事件での政府の対応がわるかったので、中国側に舐められたのだ、だから、ああいう結果になったのだ、という意見もありました。これも同様、石原は「与件」として扱わなければいけない。

そのほかにも、中国政府が挑発発言したのがわるい、などというのがありましたが、挑発には、かならず乗らなければいけないというものではないでしょう。

また、そもそも、問題を棚上げしてきた自民党が悪い、今起きなくてもいずれは必ず起こる問題、政府が何もしないから彼が動いたのだ、という石原弁護の意見もありました。

しかし、だとしても、あのタイミングがよかったのか、ほかに良い方法はなかったのか?という問題はありますね。

これについては、次に検討してみましょう。


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