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問題意識

2012年10月25日、石原慎太郎は、都知事を辞任し、たちあがれ日本のメンバーを主体とする新党を結成し、国政に復帰すると発表しました。そして11月13日、「太陽の党」を結成しますが、その3日後に解党し、橋下徹大阪市長の率いる日本維新の会へ合流しました。この間の一連のあわただしい動きは、尖閣諸島の経緯に似ていますが、小生は、この石原慎太郎の動きについて、いくつかの疑問があるのです。

石原慎太郎の、新党結成から日本維新の会への合流までの一連の動きを、もう少し詳しくみてみましょう。

石原慎太郎は、10月半ば、「中央官僚支配の打破」を旗印に、たちあがれ日本を母体とする新党を結成し、国政に復帰する、と言い出しました。25日に都知事の辞任を発表。翌日には、「第3極の結集」「大同団結」を呼びかけます。石原は、主として、日本維新の会との合流を目指していたようです。

日本維新の会と、たちあがれ日本では、掲げる政策が違いました。そして、維新の会の代表である橋下は、既成政党に近いたちあがれ日本と、反既成政治を旗印にする日本維新の会とでは「カラーが違う」と連携に否定的な見解を示しました。どちらかというと、石原慎太郎はほしいが、たちあがれ日本はいらない、という感じでした。

その後、旧たちあがれ日本と日本維新の会の間で、政策協議などが行われましたが、大した進展はみられませんでした。

そういう状況の中、11月13日、石原慎太郎と旧たちあがれ日本のメンバーは、「太陽の党」の結成を発表しますが、その3日後の16日には、この党を解党し、日本維新の会に合流する、と発表しました。さらにその後の政策協議で、維新の会の政策は「たちあがれ」寄りに大きく変更されました。

さて。

石原慎太郎支持者はこういうでしょう。東京都による尖閣諸島購入が官僚の入れ知恵で失敗した。石原慎太郎はやはり「中央官僚支配の打破」をやらなければならない、と考えた。そのためには都知事では限界がある、そこで自分はもう一度国会議員に戻る、そして、他の仲間と「大同団結」することによって、政治的影響力を確保し、政治を変えなければならない。こう考えて、老骨にムチ打って立ち上がったのだ。どこが納得できないのかね、と。

素直に受け取れば、そうかもしれませんね。しかし詳細に見ていくと、小生には、どうもつじつまが合わないところが多いように思われます。このあと、この点について、検討していきたいと思います。


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