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2012年10月25日 石原慎太郎は記者会見を開き、都知事の辞任を発表しました。
辞任の記者会見の模様は、産経新聞が詳しく報じています。辞任の理由は国政復帰/国政復帰して何をやるかというと、「中央官僚支配の打破」だそうです。
尖閣諸島問題で挫折したのが、動機かもしれません。国会議員時代、石原慎太郎の「尖閣諸島の実効支配の強化」は、官僚に邪魔されて実現しませんでした。そして、今また、野田首相の背後にいる官僚に邪魔されて、東京都による尖閣諸島の購入は失敗に終わりました。
前に述べましたように、石原慎太郎は、「自らの非力さを詫びて」一度は国会議員を辞任しています。たしか、このときも、「官僚支配」を批判していたように思います(「国家なる幻影」にそのようなことが書かれてあったと思いますが、いま手元にこの本がありません)。つまり、石原慎太郎は、官僚支配に対して非力だったのですね。
そして、「東京から日本を変える」と言って都知事になりました。都知事なら、日本を変えることができる、中央官僚支配を打破できる、と考えたのでしょうか。そして今度また、国会議員になるという。なにか、昔と今と状況が違うから、今なら国会議員になれば、中央官僚支配を打破できるというのでしょうか。
「官僚批判」は、いまや常識といっていいでしょう。
継続性一貫性を重視するあまり、考え方が硬直的になる、とか、既得権を保護することになる、とか、古いことをやめられないので、行政が肥大化するとか。過去の過ちを認めたがらない。
役所内での権限争いのため、「省益有って国益なし」、本当に国のためになるかどうかを考えない。
「天下り」、「わたり」などのお手盛り行政。
エリート意識…中央官僚になった人たちは、実際、頭のいい人たちであり、国を背負っているのは我々という自負がある。そのため、外部の意見を聞かず、閉鎖的になり、過去の過ちを認めない。
「中央官僚支配」の弊害はあるでしょう。しかし、官僚自体が不必要なのではない。国家の運営に官僚は不可欠でしょう。要は、政治家がどうやって官僚を使いこなすか、ということが問題なのですね。
「中央官僚支配の打破」は簡単なことではありません。誰だったか忘れましたが、「政治家が官僚に勝てるわけがない。政治家は何年かに一回入れ替わるが、官僚は変わらない。政治家は素人だが、官僚はプロだ。」というようなことを言っていました。政治家が官僚に勝てるようになるためには、政治家が官僚よりたくさん勉強するか、あるいは、いい意味で世論を味方につけなければならないでしょう。もちろん、専門家の意見を無視して、いい結果が出るとは思えません。それなりに、尊重する必要があるでしょう。かけ声だけで、中央官僚支配の打破はできないでしょう。
80歳のご老人が、このあと何年政治家でいられるかわかりませんが、こういう難しい問題を解決できるのでしょうか。
彼は、本気で「中央官僚支配の打破」をやろうとしているのでしょうか。
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