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当初こそ新党結成は「亀井さんの一人芝居」と言っていたたちあがれ日本の平沼ですが、その後は終始積極的に動いています。このあたりは、Wikipedia「たちあがれ日本」「石原新党」をご参照。
とりわけ、次のパラグラフ。7月4日、たちあがれ日本は石原新党を視野にいれた「政策宣言」を発表した。自主憲法制定を最初に掲げ、尖閣諸島への自衛隊配備や財政への複式簿記の導入など、石原氏が進める政策を後押しする内容も盛り込む。政策宣言のキャッチフレーズは「日本力倍増!」。またこれに伴う会見で平沼は亀井との同一行動を否定し、石原も同様の対応を取るだろうと推測した。
わざわざ、石原慎太郎の受け入れ準備をやっています。
それに対して石原の眼は、一貫して橋下率いる大阪維新の会に向けられており、たちあがれ日本のことは弱小勢力と軽視していたような感じがあります。4月12日、亀井氏が国民新党を離党し、石原新党(亀井新党)への国民新党の参加がなくなった時点で、「一回、ないことにする。白紙に戻す。20人足らずの政党を作ったって何になるの。」と語ったそうです。つまり、たちあがれ日本だけでは、数が足りない、ということですね。
さらに7月24日、平沼が都内での講演で、石原新党に期待する発言をすると、新党の問題について「周りの人が言うのもありがた迷惑だ」とまで言っています。
ではなぜ石原は、10月になり、実際に新党結成をするにあたって、彼がこれほどまで軽視していたたちあがれ日本を母体としたのでしょうか。この答えは、多分以下のようなことでしょう。
国政復帰、すなわち、国会議員になるには、選挙で当選しなければなりません。無所属で立候補するとなると、比例代表ではダメ、小選挙区でなければならない。小選挙区の、どの選挙区で立候補するか。石原慎太郎のもとの地盤は、いまは石原宏高の選挙区です。まさか、息子を追い出すわけにはいきますまい。石原伸晃の選挙区というわけにもいきますまい。
では、無所属で全く別の小選挙区からの立候補はどうか。これでは当選できない可能性大。都知事選では、自民党と公明党の支持がありました。かりに、自民党の候補とあらそうことになれば、いくら人気のある石原慎太郎でも、当選は難しいでしょう。
具体的に数字を挙げてみましょう。石原慎太郎は、2011年の都知事選での得票率は43%。2012年の衆議院議員選挙で比例代表での自民党の得票率は25%、公明党の得票率は10%。ですから、仮に自民党と公明党の支持者がそれぞれの政党の推薦候補に投票したら、石原の得票率は8%ということになります。
また、同じ衆議院議員選挙で、維新の会の得票率は20%でした。このうち橋下支持者の票もあったでしょうから、石原慎太郎の得票率はこれを下回ることは確実です。これでは石原は、小選挙区で無所属で立候補したら、当選できなかったでしょう。 となると、どこかの政党に所属して、比例代表で立候補する以外にない。石原慎太郎は、以前は、自民党に所属していましたが、自民党の党規には年齢制限がありますので、自民党に戻ることはできません。もちろん、本人も戻る気はない。そこで「新党結成」となったのでありましょう。
もっとも、新党結成というより、実質的には「たちあがれ」に石原が合流するみたいなものです。国会議員に戻るためだけなら、石原慎太郎がたちあがれ日本に入党すればよかった、ということですね。しかし、たちあがれ日本としては、石原慎太郎の知名度を利用したかったのだから、党の代表にしなければならない。年齢的にも、平沼氏より石原のほうが上です。しかし合流してすぐ党首にすえる、というのでは、格好が悪いし、新味がない。それで、一応、新党結成ということになった。ぶっちゃけて言えば、そんなところでしょう。
いずれにせよ、石原慎太郎は、たちあがれ日本を自らの国政復帰のための踏み台にした、というわけです。
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