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この標題をみて、石原支持者の皆さんから、それがどうした、という声が上がりそうです。お国のために国会議員になりたい、そのために、たちあがれ日本と合流して何が悪い、もともと石原慎太郎とたちあがれ日本のメンバーは考え方が近く、石原慎太郎はたちあがれ日本の名付け親じゃないか、と。
まあ、そういうふうに見えます。たしかに憲法改正などを唱え、立場的には極右のたちあがれ日本は、石原にもっとも近い。だが、違うところもある。
時事通信は11月7日、たちあがれ日本の平沼代表がBSフジのプライムニュースに出演し、「自民党との連携もありうる」と言った、と報じています。その内容の詳細を見ると、キャスターに「視聴者からの質問です。自民党の安倍陣営を外から支える方が、たちあがれ日本の理想が実現に近づくと思いますが、いかがでしょうか?」と質問されて、平沼氏は否定していません。
しかし、石原慎太郎と自民党の関係は、必ずしも良くない。石原慎太郎は、新党結成の目的は「中央官僚支配の打破」と言っていますが、そもそも中央官僚支配に乗っかって長期政権を運営してきたのは自民党です。都知事辞任の記者会見でも、「自民と連立を組むつもりはあるのか」と問われて、「いやいや、自民は過半数をとれないと思う。私は自民にいた当時、苦い思いをした人間。自民に戻らないし、戻りたくもない」と答えています。
もともと平沼赳夫は、小泉純一郎の郵政改革などに反対したため、選挙では自民党の公認が得られず、離党勧告をうけて離党しています。
2006年(平成18年)10月以降に注目された郵政造反組復党問題では無所属造反議員の中心となり、自民党執行部との交渉役となっていたが、自民党幹事長の中川秀直(当時)から要求された復党条件に反発した。中川と平沼の交渉が注目され、2人がかつて同じ三塚派に所属していた時代の過去の確執も取り上げられた。結局、復党では誓約書にただ一人署名せず、他の11人の復党を先行させるかたわら自らの復党は見送る判断をした。復党という話も出ましたが、離党した13人のうち平沼のみ、復党しなかった。
(Wikipedia「平沼赳夫」より)
平沼は、自民党との縁を切りたいと考えていたのではなくて、行きがかり上そうなってしまった。そのうち1939年生まれの平沼は、2009年には70歳になり、自民党の党規では、議員を引退しなければならない年齢となり、2010年にたちあがれ日本を結成しています。 たちあがれ日本の顔ぶれをみると、高齢の議員が多く、「立ち枯れ日本」と揶揄されましたが、自民党にいては議員から引退しなければならなくなった政治家の受け皿政党という感がなくもないでしょう。そういう意味で、平沼率いるたちあがれ日本は、自民党の応援団といったほうが正しいかもしれません。つまり、平沼は自民党に反対し、「中央官僚支配の打破」をやろう、などとは、思っていないかもしれない。
このように、石原と平沼の考えには、自民党に対する態度に違いがあります。おそらく平沼はそんなことは百も承知で、石原を看板に担ぎ、石原の人気を利用して勢力を伸ばしたうえで、自民党と連携して憲法改正にもっていこう、と、そんなことを考えていたのではないでしょうか。
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