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憲法破棄 2012年2月21日


「憲法、改正より破棄を」 石原慎太郎知事
msn産経ニュース 2012年2月21日(全文掲載)

 東京都の石原慎太郎知事は21日、都内で開かれた都議会自民党の「新春のつどい」に出席し、憲法について、「自民党に頑張ってもらって破棄したらいい。改正しようとすると、国会の議決がいる」などと述べ、改正よりも破棄すべきだとの見解を示した。

 石原氏は「占領軍が一方的につくった憲法を独立を果たした後ずっと守っている国がありますか。こんなばかなことをしている国は日本しかない」と強調し「自民党がもう一回政権とって、『憲法を破棄しようじゃないか。それで出直そうじゃないか』と言ってもらいたい」と自民党を応援。

 また、「自民党がもうちょっとしっかりしてもらわないといけない。これまでアメリカの妾できたけど、つぎは中国の囲われ者になりますよ。命がけで頑張らないと」と訴えた。

 会合には自民党の石原伸晃幹事長も出席予定だったが、姿を見せなかった。

☆  ☆  ☆

(民主主義)

憲法が改正できないから廃棄してしまえ、というのは、ちょいと乱暴ですね。憲法に、憲法改正の規定があるのだから、その通りにすればいい。それが民主主義でしょう。憲法改正するか否かは国民が決めること、どちらでもいい、というか、決まってしまえばそれに従うしかないです。

しかし、民主主義的手続によらずして、憲法を廃棄するなどというのは、とんでもない。きちんと国民的な議論をしたうえで、正当な手続きにしたがって、廃棄なり改正なりすればいいだけでしょう。

憲法破棄論者は、憲法改正は国会での3分の2の賛成を必要とし、このハードルが高すぎるから、過半数での議決で破棄しよう、という。これはちょっとどうか? スポーツにおいて、現行ルールでは勝てないから、ルールを変更しよう、と言っているのと同じように聞こえますね。それはフェアな態度ですかね。

確かに、国会における3分の2以上の賛成はハードルが高いようにみえるかもしれない。だが、石原は高いハードルを越えようとしたか。反対派の議員、あるいは国民を説得しようとしたでしょうか。あるいは、反対派の妥協点を探ろうとしたでしょうか。彼らは、十分な討論をせずに破棄しようとしているように見えてなりません。

多数決とは、多数・少数決である、と政治学者が言っていたと思う。多数決の裏には、少数意見の尊重があるのだ。少数意見を無視せず、説得し、妥協することも、「多数決」の一部である。多数の横暴を、防がねばならない。

憲法改正が国会においての3分の2以上の賛成を要する、とされているのは、多数による少数の抑圧を防止するための規定だ。多数決は多数だから、何をやってもいい、ということではない。

民主主義は、討論と多数(多数・少数決)という手続そのもの、と言っていいと思います。その意味で、石原には、民主主義に対する理解が不足している、と思います。

(歴史認識)
憲法破棄論者は、「日本国憲法」はアメリカのおしつけたものだから、国民の意思にもとづくものでないから、破棄していい、といいます。まあ、成立過程は、そうかもしれません。しかし、60年以上改正されなかった、という事実をどう考えるのでしょうか?自民党長期政権下でも、憲法は改正できなかった。これは、国民が憲法改正に反対してきた、という事実そのものじゃないでしょうか。大多数の日本人が日本国憲法を受容してきた、ということではないですかね。

太平洋戦争は、一部の軍国主義者が主導したものだ、国民は騙されたのだ、というのは違うと思います。日本国民が皆、一生懸命戦った、にもかかわらず敗れ、日本国民に不幸をもたらし、そのほかの国々の国民に迷惑をかけ、戦争はもうこりごりだ、という日本国民の本音が日本国憲法の条文になったのだと思います。

アメリカの都合としては、朝鮮戦争以降、日本を再軍備させたかったでしょう。だとすれば、日本国憲法の改正を日本人が望めは、アメリカとしてはあえて反対はしなかったでしょう。つまりは、アメリカに与えられた憲法だとしても、日本人は改憲を望まなかった、ということではないでしょうか。

日本国憲法が無効だ、という言い方は、そういう事実を無視しているのではないか、という気がします。

要するに、アメリカに与えられた、という一時だけのことでなく、日本が戦って敗れるまでの歴史、敗れてからの60年という歴史を踏まえるべきでしょう。

石原には、こういう歴史認識が欠けています。

(法律論として)
それはさておき、憲法破棄論は、法的にどういうことになるか、ということを検討してみました。

第96条に改正の規定はありますが、廃棄の規定はありませんね。つまり、この憲法は廃棄されるということは、想定されていない。

ということは、憲法を廃棄するためには、憲法を改正し、廃棄の規定を創設するしかないんでしょう。

そのうえで、廃止をすれば、合憲ということになります。

憲法破棄論者は、国会の議決(過半数の賛成)により云々と言っていますが、憲法が破棄されることを前提としていない以上、その憲法に反する行為は認められないでしょう。

「第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」

国会で議決をしたとしても、「効力を有しない」のです。

石原は、こういう合法的手続きに従って、憲法を廃棄しようとしているのでしょうか?


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