トップページへ・
「『石原慎太郎批判』の概要」へ
「時事評論集」トップへ・
「時事評論集・その他」のトップへ
前のページへ
石原慎太郎と憲法にについては、このホームページで、すでに2度採りあげています。
(小論文集「石原慎太郎と憲法」時事評論集「憲法破棄 2012年2月21日」)
ここで、またまた採りあげるのは、今回の発言に、石原慎太郎の法に対する考え方が端的にあらわれている、と思うからです。
小生が、前2回において、主張したのは、以下のようなことです。
現行憲法の歴史的な成立過程が問題、民意を反映していない、というような議論に対しては、歴史のスパンをもっと広くとって、戦前の軍国主義、戦後の現行憲法の受容も歴史である、と反論。
国会議員の3分の2以上の賛成がなければ憲法が改正できない、というのはハードルが高すぎる、という議論に対しては、それならば、過半数の賛成で可というふうに憲法を改正せよ。民主主義は手続を重視する、というか、民主主義は手続そのものと言っていい、と反論しました。
そして、法律的には、憲法自体に憲法破棄の規定はないから、破棄はできない、と論じました。
しかし、今回採りあげる石原の発言は、こういう小生の議論を全く無意味にします。同時に、石原慎太郎が憲法破棄を論ずる、ということ自体が無意味ということにもなります。
【日本よ】石原慎太郎 歴史的に無効な憲法の破棄を
msn産経ニュース 2012年3月5日(一部抜粋) 「それは憲法改正などという迂遠(うえん)な策ではなしに、しっかりした内閣が憲法の破棄を宣言して即座に新しい憲法を作成したらいいのだ。憲法の改正にはいろいろ繁雑な手続きがいるが、破棄は指導者の決断で決まる。それを阻害する法的根拠はどこにもない。」
「破棄は指導者の決断で決まる」…それを言っちゃあ、おしめえよ、です。憲法(法律)は、指導者(権力者)の権力の乱用を防止するためにある。そのことを、石原は知らないのでしょう。
そもそも、世界最古の憲法は、イギリスのマグナ・カルタ、1215年制定。Wikipedia「マグナ・カルタ」にはこのように記述されています経緯憲法(法)は統治のルールです。統治者はそれに基づいて統治する。統治者が、憲法(法)を勝手に改廃できるなら、憲法(法)としての意味はありません。ジョン王がフランス王フィリップ2世との戦いに敗れてフランス内の領地を失ったにもかかわらず新たに戦を仕掛けて再び敗戦したために、1215年5月5日に貴族の怒りが爆発した。貴族側はジョン王の廃位を求めて結託し、ロンドン市が同調する事態になるとほとんどの貴族と国民は反ジョンでまとまってしまった。当時はこのように臣民の信頼を失った王は自ら退位するか処刑されるしかなく、その後新たな王が立てられるのが通常であったが、このときはジョン王は、王の権限を制限する文書に国王が承諾を与えることで事態の収拾を計ったことで制定された。
王といえどコモン・ローの下にあり、古来からの慣習を尊重する義務があり、権限を制限されることが文書で確認されたという意味が大きい。王の実体的権力を契約、法で縛り、権力の行使には適正な手続を要するといった点は現代に続く「法の支配」、保守主義、自由主義の原型となった。」
だとすれば、憲法廃棄を議論すること自体が無意味です。
このページのタイトルを「憲法破棄論・おわり」としたのは、そういう意味です。
リンク大歓迎!
このWebサイトはリンクフリーです。
次のページへ・
「時事評論集・その他」のトップへ
「時事評論集」のトップへ・
「『石原慎太郎批判』の概要」へ
トップページへ