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<どうやって世に出たの?>これは石原慎太郎の公式ホームページの一節につけられたタイトルです。そして、その次が<どうして国会議員になったの?>、その次が<どうして都知事になったの?>です。 後の2つが<どうして○○になったの?>というタイトルであれば、最初のタイトルも<どうして○○になったの?>とそろえるほうが、落ち着きがいいのですが、そうなっていません。
石原慎太郎は、一橋大学在学中の1956年(昭和31年)に文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞しました。これが、彼が「世に出る」きっかけとなりました。
彼は、おそらく、小説を書きたい、とか、小説家になりたい、と思ったのではないのでしょう。書いた小説があれよあれよという間に、芥川賞という立派な賞に選ばれてしまったのでしょう。だから<どうして小説家になったの?>と言うタイトルはつけられないのでしょう。
それにしても、<芥川賞を受賞>といようなタイトルでもよさそうなものです。しかし彼は<どうして世に出たの?>を選びました。きっと、小説、小説家、文学賞よりも、世間に知られたことが彼にとっては重要なのでしょう。
選考委員のなかでは意見が分かれました。
支持派の舟橋聖一は、“若い石原が世間を恐れず、率直に生き生きと《快楽》に対決してその実感を容赦なく描き上げた肯定的積極感が好きだ”と述べ、反対派の佐藤春夫は、“この作者の鋭敏げな時代感覚も、ジャーナリストや興行者の域を出ず文学者のものではない。美的節度の欠如”と評し、カンカンガクガクの論争が続いた。(Wikipedia)
小生も読みましたが、内容は忘れましたし、また読み返す気もありません。まあ、当時としては目新しい性描写を含んだ小説と言えばいいでしょう。性描写を主とした小説をポルノ小説というなら、その部類でしょう。
もちろんこの意味での「ポルノ小説」が悪い、と言うことではありません。文学史に残る「ポルノ小説」はいくつもあり、時と場所を越えてよみつがれています。「太陽の季節」は、多分その意味で、価値は低いでしょう。
しかし、全く意味がなかったわけではないでしょう。 当時としては目新しかった、といいました。石原慎太郎はその弟裕次郎とともに、その時代の若者を代表し、「世間」に反抗しました。古い道徳の抑圧に対する反抗でした。若者の欲望とそれが満たされない不満を「世間」にぶつけました。この小説にも、そう言う意味合いはあったでしょう。それで成功したのです。
ただし、石原慎太郎が世に出たころは、古い道徳の権威が揺らいでいた時期でもあり、権威と正面から対決する必要はありませんでした。何も理屈は要らなかったのです。ただただ、やりたい放題、言いたい放題でよかったのです。
要するに、彼は、若者の欲望、すなわち、自分自身の欲望(彼も昔は若者であったことを忘れてはいけません)をストレートに表現しました。それで、成功しました。おそらく、その成功体験が、これまでの彼の「失言」「問題発言」を繰り返させているのだと思います。
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