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さて、隠居はこの章で、石原慎太郎は問題が多い人物だが、その支持者はいる。その支持者は石原慎太郎をこのように見ている、と、話を進めてきました。
いろいろ問題があるにもかかわらず、一部の人には、石原慎太郎がすばらしい人物に見えるのです。
小生は、石原慎太郎は愛国心よりは自愛心が強く、判断が早く明快であるというよりは考えていないのであり、率直で動じないというよりは傍若無人であり、云々と考えており、そのことを前の2章で説明したつもりです。
しかし、彼の言動には、おそらく支持者をひきつける何かがあり、それが彼らの判断を誤らせているのでしょう。
それは何か?
隠居は、それはやはり、彼の「極右的思想」なのだと思います。この点については、彼の主張は一貫しています。厳密に言うと、右翼・左翼というわけ方にふさわしくなく、思想と呼べるようなものではないと思いますが、いま、適当な言葉がみつかりませんので、とりあえず「極右的思想」と呼んでおきます。
どうしてそう思うのか、と言うことなのですが、それは、隠居自身、彼の主張のなかで、どうしても、否定しきれないものが残るからなのです。
「石原慎太郎と憲法」で、隠居は憲法改正に賛成でも反対でもない、正直言って迷っている、自衛権としての戦争を放棄する、と割り切るほどの勇気がない、といいました。たぶん、たいていのひとはそうだろうと思います。石原慎太郎は、憲法は廃棄せよ、軍隊を持って何が悪い、自衛して何がわるい、と言っています。彼の主張のこの部分、自衛して何が悪い、には賛成なのです。
隠居は、「石原慎太郎と日の丸・君が代」では、日の丸・君が代の強制には、反対(と言うより不愉快)ですが、日の丸・君が代、国旗・国歌についてはなんとも思わないです。というより、他の国の国旗・国歌よりは、日本の国旗・国歌に愛着はありますね。この、国旗・国歌への愛着については、石原慎太郎と同様なのだと思います。
石原慎太郎の言葉は、なにか人間の本能的なもの、たとえばたとえば憲法9条問題でいえば、自己防衛本能でしょうか、日の丸・君が代で言えば、郷土愛・帰属する集団への愛着でしょうか。そういったものに働きかけ、共感を呼び起こしているのではないかと思います。
石原慎太郎のそのほかの発言についても同様のことがいえるでしょう。領土問題でいえば、縄張り意識でしょうか。そして弱者差別は、自己の優位性の確認でしょうか。
石原慎太郎の言葉に共感するものが、本能的なものであるがゆえに、彼の根強い支持者がいるのです。
また、根強い支持とまではいかなくても、この本能的なものは、誰でも少しは持っているものであるがゆえに、石原氏に消極的賛成、ないしは中立を装った賛成の人がいるのです。「自分は石原氏の発言に賛成でも反対でもないが、石原氏のような発言はあってもいい」、とか、「正しくないが、言論の自由は保障すべきだ」、というような人たちです。
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