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ダメなものはダメと言おう!

石原慎太郎をよく思わない人たち(隠居=小生を含む)は、彼を侮っていたのではないかと思います。

彼は小説家でしたが、たいしたものは書きませんでした。世に出た「太陽の季節」で芥川賞を受賞しましたが、はたしてこれが、賞に値するものだったか、隠居(=小生)は疑問に思います。

隠居は文芸評論家ではありませんので、なぜこの小説が賞に値するものでないかを、説明することは出来ません。ただ、隠居の読書の量は、多いほうで、乱読に近いかもしれません。その経験からいえば、いいものはその内容を覚えているか、内容は忘れてしまっても読み返したくなるものです。この小説についていえば、そのどちらでもないのです。言葉で説明は出来ないが、経験から直感的に良し悪しがわかる、ということかもしれません。

政治家としての評価についても、同様のことが言えるのではないでしょうか。彼が本物の政治家でないことは、経験のある人、本物の政治家には、直感的に明らかなのだと思います。

本物の政治家は、言葉を発するにおいて慎重です。政治家の言葉は実現されなければならないことを承知しているからです。

したがって、本物の政治家は、彼の言葉を聞けば、直感的に、彼は偽者であることをすぐに見抜くでしょう。彼は様々な問題発言をしていますが、これがすべて実現されたら、とんでもないことになってしまいます。だから、こいつは本物の政治家ではないと。

いや、政治家でなくても、多少の常識のある人はそう思うでしょう。そして、誰でもそう思うだろう、だから、真面目に相手にする必要はない、と思ったのではないでしょうか。

隠居はそう思っておりました。どうせこいつはろくなことも出来ずに消えてなくなるさ、と。しかし事実はそうではありませんでした。今度(平成23年)の都知事選で43.4%の得票率、棄権した人を含めても、有権者の4人に1人が石原慎太郎を支持したことになります。積極的支持であれ、消極的支持であれ、何はともあれ。なにしろ、彼の言葉は人々の本能に作用します。強力で根強いのです。

積極的支持者を説得し、支持者でなくすることは不可能に近いかも知れません。しかし、消極的支持者については説得可能かもしれません。また、石原慎太郎がどういう人かよく知らないで投票した人もいるかもしれません。そういう人たちに、あらためて、知らしめることは出来るでしょう。

本物の政治家の皆さん、そして自分は政治を多少は知っていて、石原慎太郎は相手にするに値しない、と思っていた皆さん、今一度はっきり言う必要があります。「ダメなものはダメ」と。


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