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小説家と政治家

石原慎太郎は、小説家として世に出、政治家になりました。いわゆる「2足のわらじ」でしょう。

小説家と政治家の共通点は、言葉によって人々に語りかけるということです。違うのは、小説家は、架空の世界を語りますが、政治家は現実の世界、あるいはそのあるべき姿を語ります。小説家の言葉は実現しなくてもいいし、実現しないほうがいい場合もあります。しかし、政治家の言葉(政見、公約等々)は実現しなければ、意味がありません。

石原慎太郎の言動をみていると、どうもその違いがわかっていないのではないか、と思われます。

彼は国連を役に立たないと言い、日本国憲法を認めないといい、中国、韓国、北朝鮮を敵にまわし、アメリカ、フランスを軽蔑しています。東京以外の道府県を馬鹿にしています。東京のなかでも、いわゆる都会以外は、彼の軽蔑の対象です。そして、年取った女性を役に立たないものと言っています。 彼は本気でこれらを敵に回して闘おうというのでしょうか。彼が本物の政治家であるなら、そうしなければならないはずです。

話は変わりますが、彼は自民党総裁選に立候補して敗れています。そもそも自民党は、政治思想に基づいた政党ではなく、官僚に支えられた実務中心の政党ですから、余計な問題が起こることは好みません。多分、こういう問題のある人物を党総裁、すなわち首相にすると、外交、内政ともに問題だらけになることを恐れた良識派が、彼を支持しなかったのではないか、と思います。

彼が総理大臣でない限り、軍事・外交にタッチすることは出来ませんから、彼が都知事であることは、ある意味で喜ばしいことです。

話を元に戻しましょう。彼が小説家であろうと、政治家であろうと、あるいはただの人であっても、何か言うのをとめるわけにはいきません。言論の自由は保障されるべきです。しかし、彼が政治家であるというのはどうなのか?都知事であるというのはどうなのか?

彼が都知事であったことで、何がしかの良いことがあったことは確かなようです。治安の強化とか、風俗店の取り締まりなどです。そのかわり、新銀行東京での失敗があり、公私混同がありました。他の政策については、評価がわかれるでしょうし、いま、ここで論じる余裕はありません。また、政策の良し悪しを論じること自体、そもそも難しいことなのです。

残るは、彼が東京都知事にふさわしい人物かどうか?

隠居の答えはNOです。理由は、本能だけでは政治は出来ない。詳細についてはすでに述べたとおり。それに、ああいう人物を選んだ都民は馬鹿だ、と言われたくありませんから。


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