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2015年大阪ダブル選 敗因分析

柳本氏は共闘をどう考えていたのか

ここまで、ネットにおける評論家諸氏の見解を見てきましたが、ついでに…決して重要でないという意味ではありません…柳本氏は「共闘」をどう考えていたのか、ということを探っておこう、と思います。

柳本氏は当初は<非維新勢力を結集したい考え>だったのですが、一方、選挙後には<決して共闘したわけではない>と語っています。これはどういうことなのでしょう。

柳本氏のブログについてはあとで詳細に見ていきますが、12月2日のブログにはこういう一節があります。

「共闘」…何をもって共闘というのか?首長選挙において、政策協定を結ぶ団体などは精査しなければならないが、少数意見も含めて一人一人や各種団体からのご支援を頂くウイングを広げることに問題があるとは思えない。私の認識では、共闘とは政策議論はもとより選挙体制についても共に戦略をすり合わせたり、役割分担をしたりする協力関係を指すと考える。

この一節は、橋下維新の共闘批判への反論として書かれたもののようです。そして、前段首長選挙において…からの文章と、私の認識では…の文章では別のことを言っています。

ちょっと言い換えてみますと、「どういう団体と政策協定を結ぶか…具体的には共産党と協定を結ぶべきか…はよく検討する必要があるが、個人や各種団体から広く支援をご支援を頂くことに問題があるとは思えない。」「私の認識では、共闘とは政策議論…たとえば選挙公約などのすり合わせ…必要ではあるが、選挙体制についても共に戦略をすり合わせたり、役割分担をしたりする協力関係を指すと考える。」

後段部分は小生が先に述べた、共闘には共通の敵が必要だがそれだけでは不十分で、統一された作戦があってはじめて共闘といえる、といいましたが、それと同主旨のことでしょう。

ただ、柳本氏は政策の統一は必要と考えています。小生なら、政策の一致がなくてもいい、共通の敵があればいい、あえて付け加えるなら、共通の理念があればいい、と言い切るところです。そして、共通の理念とは「民主主義」である。維新との戦いは、民主主義を守る戦いだ、と言い切るでしょう。

こういうふうに言い切れば、維新の共闘批判への明確な反論になると思いますが、柳本氏のこの文章では、反論とは言い難いのではないでしょうか。

大阪ダブル選の指揮権は府連にあり、柳本氏は市長選のリーダーであったから、柳本氏は府連にしたがったのかもしれませんが、小生は、柳本氏には共闘へのためらいがあるような気がします。

この点については後ほどもう一度採りあげます。

いずれにせよ、市長選のリーダーである柳本氏がそういう態度では、真の意味での共闘は難しかったような気がします。

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