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ただし、田原氏の評論のこの部分は違うと思います。
自民党と共産党が共闘するということは、それぞれに政策がないということだ。要するに、「アンチ橋下」という目的しかない。
たしかに自民党と共産党は永年のあいだ仇敵でした。そして今でも国政の場では、両者は敵味方の間柄です。それが「共闘」するとはいったいどういうことか、ということでしょう。
しかし、これは不思議でもなんでもないのです。
小生のようなアンチ橋下、アンチ維新…彼らの政治的主張というよりは、彼らの政治に対する姿勢、政治手法に反対する者にとっては、極論すれば、政策の一致なんてどうでもいいのです。
共通の政策がなくても共通の敵さえいれば、アンチ橋下という目的が一致すれば共闘はできるのです。政策の有無、政策の一致は共闘の条件ではありません。そもそも、共闘とはそういうもの、主義主張の違うもの同士が連携して共通の敵とたたかうことでしょう。
たしかに、選挙では異なる政党が選挙協力をする際には、政策の調整をします。それは、「勝つ」ために、政策を統一しているのであって、統一された政策がはじめからあるわけではありません。目的が勝つことであり、政策の統一は手段というべきでしょうか。
たとえば、大阪都構想住民投票は、維新に対して、自民公明民主共産の各党が反対しましたが、「政策の一致」はなかった、反対派に共通の「対案」(政策)はなかったのです。それでも「都構想反対」で一致してたたかいました。維新が都構想復活という政策を掲げている以上、都構想に反対する共産党と組むのは不思議ではないのです。
また、中央の政治と地方政治とは違います。住民の生活に直結する地方政治では政治思想の違いはあまり問題になりません。ゆえに共闘は不思議ではないのです。
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