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12月2日のブログの前半は、橋下センセイの「争点ずらし」の話です。そして、後半は橋下センセイの発信した「イメージ」とそれへの対応が書かれています。この後半を見てみましょう。
言葉には、それぞれ意味がある。中身がある。しかし、同時に言葉にはイメージがある。そのイメージの決めつけの天才を前に、我々は明確な説明の発信力を持ち合わせていかなった。
この一節も難解なのではないでしょうか。
意味=実体、イメージ=実体とは違う外見とでもいいかえればわかりやすくなるかもしれません。そして橋下センセイは、言葉のイメージを利用したり、新たに作り出したりして、虚像を作り出した。
前に戻って、<痛恨の極みは「都構想」という言葉を、再び中身を確定せぬままに定着させてしまった事にある。>は、<「都構想」という(実体ではない)イメージを>と言い換えるとわかるでしょう。
ここでは、柳本陣営が橋下センセイの発信するイメージに対して、実体を説明する努力をしてきた、と言っています。「2重行政」「大阪会議」「共闘」「橋下市政の前の大阪は酷かった」これらが橋下センセイの作りだした(あるいは利用した)イメージの例であり、今回のダブル選で発信されたものでしょう。
そのイメージの決めつけの天才を前に、我々は明確な説明の発信力を持ち合わせていかなった。
つまり柳本陣営は、橋下センセイの言葉のイメージを利用した虚像…大阪都構想もその一つです…に対して、実体はこうです、という説明を人々に浸透させる「発信力」を持たなかったということです。
それはそうだろうな、と小生は思います。実際、小生はホームページでそういう作業をやっているわけですが、きちんと説明しようとするとかなりの言葉数を要します。なるべく平易に明快に説明するよう心掛けているつもりですが、出来上がったものは難解ではないかと思います。
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