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2015年大阪ダブル選 敗因分析

柳本氏と「橋下維新反対」

いままで、共通のスローガンに何を選ぶべきだったかということで検討してきましたが、ここでちょっと脱線します。

先に小生は、柳本氏は共闘に対するためらいがあったのではないか、と書きましたが、「まっとうな大阪」を共通の発信内容として共闘すれば、「橋下維新反対」に発展することを懸念したからではないかと思います。

叔父の柳本卓治氏が共産党系集会に参加した、という 10月29日付産経新聞の記事の中で<顕氏は同日夜、自身のツイッターに卓治氏の行動について「上手に『使われちゃった』のでしょうか?」「私はとにかくまっとうに政策を主張し続けます!」と書き込み、無関係であることを強調した。>と伝えられています。

<「上手に『使われちゃった』のでしょうか?>はさておき、<「私はとにかくまっとうに政策を主張し続けます!」>が柳本氏の本音でしょう。

ここにも柳本氏の「政策へのこだわり」がみられますが、共闘へのためらいと政策へのこだわりが同時に現れているところに意味があると思います。つまり、政策へのこだわりは共闘へのためらいの裏返しではないかと思います。

そして、共闘へのためらいの根底には、柳本氏が「橋下維新反対」をいいたくなかった、ということがあるのではないでしょうか。

この柳本氏の維新を敵視しないという姿勢は、意識的なものかそうでないかはわかりませんが、「維新との戦い」におけるかなり本質的なものを含んでいると思います。

維新の手法は敵を作ってやっつけるというものです。それに対して敵を作らない、あくまでも政策で争う、というのは、維新との根本的な違いなのです。柳本氏はこの違いを鮮明にしたかったのかもしれません。

普通、人は敵視されると反発します。その結果がお互いの非難合戦になり<騙しや脅しやまやかしで彩られるような市政、下品な言葉や誹謗中傷で個人や団体を攻撃する様な政治>がもたらされてしまいます。そういう意味でも挑発に乗らない、というのは大切なことでしょう。

柳本氏がこういうことをどれほど意識していたのかはわかりません。事実は単純で、そもそも柳本氏は人を悪く言うのは嫌いなのではないか、などと思ってしまいます。なにしろ柳本氏は自身のブログでひたすら「発信力不足」といい、敵である橋下維新についても、味方?である共産党についても、自民党内部の人々についても非難していないのです。

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