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2015年大阪ダブル選 敗因分析

橋下センセイは強い

この文章を書き始めたのは3月11日ぐらいだったようです。思いもかけず日にちがたってしまいましたし、ずいぶん長い文章になってしまいました。簡潔明瞭を心がけている小生にとっては、いささか忸怩たるものがありますが、いまのところこれ以上のものはできません。

これは、そもそも「事実」とか「現実」とか「真実」というのは難解で、理解したり、それを説明したりするのは難しいということなのです。つまり、小生の発信力のなさではない(笑)。つまり「真実」のようなもの自体の発信力が弱い。

これを言い換えれば「虚構」の発信力は強い。

真実を語る言葉の発信力が弱い、なんて理不尽な感じがしますが、不思議でもなんでもないのです。たとえば小説という虚構は、学術論文より人々を感動させます。そして詐欺話の発信力も強い。

柳本氏は、すべては私の責任と言っておられますが、小生はそれほどでもない、と思います。味方が弱かったし、相手が強かった。味方の体制が整っていなかったし、発信内容、方法が決まっていなかった。相手は体制を整え、訴えるものを絞り込み、「争点ずらし」の奇手まで使ってきた。

柳本氏が発信内容を絞り込めなかったこと、共闘に対する態度があいまいであったことの根底には、氏の人に対する優しさがあるのではないかと思います。人を傷つけたくないのではないかと思います。たとえ相手が「橋下維新」であっても。

そもそも他人を気遣って発せられる言葉は、その優しさゆえに強くは響かないのでしょう。優しい言葉は発信力が弱いのではないかと思うのです。これは柳本氏のせいではない。

これを言い換えれば憎しみの言葉の発信力は強い。

ゆえに、虚構の言葉、憎しみの言葉を発信する橋下センセイは強い。

そもそも橋下センセイの「敵を作ってやっつける」という手法との違いを明らかにするためには、橋下センセイですら敵に回してはならない、という大いなる矛盾がアンチ橋下にはあるのです。

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