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2015年大阪ダブル選 敗因分析

有権者を説得する

おしまいに、橋下センセイとたたかうときの心構えのようなものを。

橋下センセイは僕に文句があるなら選挙で落とせ、といっていました。まさにその通りです。橋下センセイが何を言っても、彼が政治家でなければ実害はありません。

彼が大金稼ぎのコメンテーターであっても、別に問題はないでしょう。言わせておけばいいのです。日本では言論の自由も保障されていますし。

アンチ橋下の人々は、橋下センセイのとんでもない言動にあきれ返って、あるいは怒って、ついつい橋下センセイと言い争ってしまいますが、そんな必要はないのです。有権者に対して橋下センセイの発信するイメージを否定してみせればいいだけなのです。

おそらく橋下センセイはつねに自分の言動が有権者にどう見えるか、ということを意識し計算しているのでしょう。

もちろん橋下センセイの言動を批判することは必要ですが、橋下センセイを相手に怒ったり、相手を言い負かしたりしようとしても、かえって橋下センセイを目立たせるだけでしょう。それだけでなく、橋下センセイにうまくしてやられることになります。

「大阪会議」は橋下センセイに完全にしてやられた事例でしょう。

大阪会議を大阪都構想の対案と言ってしまったことは失敗でした。繰り返しになりますが夢のような大阪都構想に対抗しうる案などないのです。大阪会議は対案ではない、といったほうがよかったでしょう。

「ポスト都構想」の方向性が「制度ではなく政策」「しくみではなくなかみ」であるということを有効に発信することを考えれば、大阪会議が大阪都構想の対案といったのは間違いであった、と言ったほうがよかったと思います。橋下センセイにうそつきといわれるのはくやしいですが、有権者に明確なメッセージを発信するほうが重要だと思います。

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