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先に引用した大阪都構想のホームページの冒頭部分にはこう書かれています。
大阪都構想は大都市、大阪にふさわしい成長をもたらす府市一体となった成長戦略であり、ニアイズベターでコミュニティの強化と住民サービスの充実を実現させるための統治機構の改革です。
では具体的にはどういう統治機構の改革なのか、というと、大阪維新の会のホームページの続きに、
大阪都構想を支える二つの柱
大阪都構想は(1)広域行政を現在の大阪府のエリアで一本化する、(2)大阪市内に公選の首長を8から9人置き、住民に身近な行政サービスを担わせるというのが大きな柱です。さらにその流れで大阪市役所改革も大目標に掲げております。
この引用部分だけでは明確ではないのですが、このホームページの記述や、一般に報道されていることなどを総合すると
大阪都構想とは、
○大阪市分割して、いくつかの区にする。
当初は、堺市も大阪都に組み込もう、という構想でした。また、設置する区の数も上記のとおり8から9を想定していました。
しかし、堺市の市長選で、都構想反対の市長が当選したため、大阪市のみが5つの区に分割されることになりました。
○市の権限の一部を「都」(府)に移す。それと同時に、市の財源と資産・負債も都に移管する
府(都)に移管する業務と、区に移管する業務の区分はおおむね、区は住民に密着した行政サービスを、府(都)は広域であつかうべき産業インフラの整備、あるいはハコモノの建設のようなものを扱うということです。
まあ大体、大阪府・市の行政機構を東京都のようなものにする、というとわかりやすいでしょう。
(注)大阪維新の会のホームページでは大阪都構想を「統治機構」改革と言っています。なんとなく大げさな感じがしますので小生は「行政機構」と言う言葉を使いますが、厳密に区別しているわけではありません。
以上でのべたように、大阪都構想は、大阪府・市の行政機構改革であり、一般にイメージされる「都」になる、と言うことではありません。
皇居が大阪に移転するわけでもないし、国会が、あるいは中央省庁が大阪に移転するわけでもありません。
もちろん、東京にある企業の本社が大阪に移転するということもないし、大学などの教育・研究機関が移転するわけでもありません。
蛇足ですが、大阪府と言う名称が、「大阪都」に変わる、と言うこともありません。というか、厳密に言えば、法改正をしなければ変えることはできません。
さて、東京都のような行政機構は優れたもので、大阪がマネするだけの価値があるものなのでしょうか。
現在の東京都の行政機構、都のなかに23の特別区がある、と言う形態は、戦時中の1943年当時の内務省主導で作られたものです。戦時中の非常事態ということでしょうか。国が東京市(当時)に対する支配を強化しようとした、と言うことではないかと思います。
いわば非常事態に対応するためのやむを得ざる措置、というか、やっつけ仕事というかそんなもので、どのような制度が東京と言う都市にふさわしいかを考えたうえでの措置ではありません。少なくとも「都市の自治」と言うことは考慮されていなかったことは、その経緯からも明らかでしょう。
そして、仮に東京都のような行政機構が優れているとしても、では、それが大阪にとっても望ましいものかどうか、ということはまた議論のあるところで、これだけでも学者の間の大議論があってしかるべきでしょう。
大阪都構想は「成長戦略」と「コミュニティの強化と住民サービスの充実」を目的としているようですが、
大阪都構想の意味合いまとめますと、大阪都構想は、大阪市以外の衛星市の住民にとっては、ただちに住民サービスの何がどう変わるのか、そういう議論ではありません。 大阪全体のGDPを上げる、住民の所得を上げる、そして各市町村の税収を上げるということが第一目標です。
そして、そのあとのパラグラフの見出しは「成長戦略としての大阪都構想」「大阪都構想は大阪再生の第一歩」となっています。
すなわち、どちらかと言えば、「成長戦略」のほうに重点が置かれているようです。
また、引用したページの前には、「大阪の危機/大阪が持つ潜在可能性」、「大阪再生マスタープラン」と言うタイトルのページがあるところからみると、どちらかと言えば、「成長戦略」というより「大阪再生」と言うべきなのではないでしょうか。
つまり、大阪都構想の根底には大阪の現状に対する危機感がある、と言えるでしょう。
では、大阪都構想が実現すれば、大阪は再生できるか。この答えは常識的には「わからない」だと思います。
そもそも大阪都構想は行政機構改革です。行政を改革すれば、大阪の経済は活性化するのか。
たしかに政治が良くなれば経済も良くなるような気がします。しかし冷静に考えれば政治と経済はとりあえず別ものでしょう。
政治は経済活動の「枠組み」を提供しますが、経済活動そのものではありません。「枠組み」を変えるだけでなく、経済活動自体が変わる必要があるでしょう。
大阪都構想は、当初からわかりにくいと言われてきました。その原因のひとつは、この行政改革で経済が活性化できるかわからない、と言うことではないかと思います。
では、東京の繁栄は行政機構のおかげといえるのでしょうか。
この答えも「わからない」が正解で、常識的には、東京の発展は、一極集中と、日本の経済成長が要因ということではないかと思います。
東京と言う都市が繁栄した(というより、小生は異常に肥大化した、と思っているのですが)のは、国がバックについていた、国の機関が東京に集中した、政治、経済、文化、あらゆる面で、東京に資源が集中投下され、かつ、情報も集中した、そして、東京が戦後経済成長した日本の中心であった、ためであり、行政機構が優れていた、と言うことではないでしょう。
国がバックになければ東京の繁栄はなかった。つまり、大阪が東京の行政機構をマネしたところで、大阪は繁栄しない、とおもいます。
ついでに言うなら、今後、日本の経済成長が止まれば、東京が今まで通り成長していく、と言う保証はないような気がします。
このように見て来ると、明確には語られてはいないものの、大阪都構想は、東京の行政機構のマネで、マネることで大阪が東京のように繁栄すること、「大阪の再生」を期待しているのではないか、と思われてきます。
しかし一般論としては、純粋な行政機構改革としての大阪都構想にそんな効果は期待できないように思われます。ただし、そういうことが絶対にない、と言い切ることもできないでしょう。そういう意味で大阪都構想は「わかりにくい」のでしょう。
そういう一般論はさておき、大阪都構想と言う行政機構改革によって「大阪の再生」ができる、ということを説明しているのが「2重行政の解消」でしょう。
次は、これを検討してみましょう。
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