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まずは、橋下徹大阪市長と大阪維新の会のいう「2重行政解消の効果」とはどういうものか。
橋下と大阪維新の会は、大阪都構想によって大阪の財政を建て直し、大阪を活性化することが出来ると言っています。これは「2重行政解消の効果」といわれています。
すなわち、大阪府と大阪市で2重行政の無駄がある。この無駄を省けば、財源が浮く。その財源で大阪の財政を立て直し、なおかつ産業インフラを整備して、大阪の経済を活性化させる、というものです。さらに、経済が活性化すれば税収が増え、そうすれば福祉も充実できる、とも言われています。
大阪維新の会のホームページでは「2重行政の無駄」の事例として、府と市で同じような施設を作っている、と言っています。
こちら↓の「現状06 事例から見るお金の無駄」をご覧ください。
大阪維新の会ホームページ
これについてはのちほど「大阪維新の会の言う2重行政の無駄とは」で詳しく検討します。
しかし、「2重行政の無駄」にはなんとなく釈然としないものがあります。
都道府県と市町村の役割分担が法律でどう定まっているのか、というような話はさておきます。というのは、小生がそういうのが苦手だ、ということもありますが、このホームページでは、普通の人の常識で大阪都構想を検討してみたいからです。
都道府県の中には市町村があります。それは「2重行政」でしょうか?もしそうなら日本中「2重行政の無駄」がある可能性がある。
都道府県の上には国があります。そうなると3重行政でしょうか。日本中に3重行政があることになりますね。そして、「3重行政の無駄」が全国的にあることになる。
まずは、2重行政とは何か、と言うことを確認しましょう。
多重行政の一種。主に日本において、都道府県と市町村が重複する事務を行っていることを指す。
引き起こされうる問題
1.国、都道府県、市町村とそれぞれ階層が違う行政府が似たような事務を重複することによって、行政費用が増大し無駄が発生する。
2.国の地方出先機関が地方自治体の事務と重複することが問題視されている。
3.都道府県並みの権限を持つ政令指定都市が都道府県と権限が重複することについても問題が指摘されることがある。
こういう言葉が存在するということは、どうやら日本中2重行政や3重行政がある、そして「2重行政の無駄」や3重行政の無駄がある、少なくともその可能性がある、ということになりそうです。
そして、大阪の事例は上記の3の政令指定都市と都道府県の権限の重複にあたることになります。
しかし、日本全国で「2重行政の無駄」があるから、市町村と都道府県を統合しよう、都道府県と国を統合しよう、と言う話にはなりません。
二重行政の無駄をなくすために組織の統合が必要、というのなら、究極的には国がすべての都道府県・市町村を統合して、一元行政を行うべき、ということになりますが、そんなことを言ったら馬鹿にされるでしょう。地方分権は当然のこととされています。
小生は「2重行政の無駄」にはもう一つの別の意味で釈然としないのです。
上記で「組織論」などど言いましたが、そんなに大げさなものではありません。
まず、組織内にはいくつかの部署があって、それぞれの役割分担がある。各部署はその役割分担に専念し、習熟することで、全体として大きな成果あげることが出来る、ということですね。
しかし、いわゆる行政組織などに関していえば、組織内の部署の役割分担が完全に分かれていて、お互いに他の部署の担当する仕事についてはわれ関せず、というのでは、各部署のどちらも担当しない問題が出来てしまい、組織として問題に対応できない。
また、制度や組織などというものに完璧なものはない。権限などを全く重複しないように定めることは出来ないでしょう。
というわけで、各部署の役割は多少重なり合っていて、重なる部分については話し合って決める、というのが、最も望ましい組織のあり方であり、世の中の一般的組織ではそういうふうにやっているのではないでしょうか。
ですから、「2重行政」があるなら役割を話し合って調整すればいいじゃないか、それが当り前ではないか、何でいまさら「2重行政の無駄」云々と騒ぐのか、と言うことで小生は釈然としないのです。
前に引用した2重行政の定義には<主に日本において、都道府県と市町村が重複する事務を行っていることを指す。>とあります。また前節の引用では<大阪都構想をめぐる住民投票で問われた政令指定都市の「二重行政の弊害」は、なにも大阪に限ったことではない。横浜や京都など他の政令指定都市でも活発に議論されている>と書かれています。つまり、いまや2重行政といえば都道府県と政令指定都市の2重行政、とりわけ大阪府市のそれ、と言うイメージになっています。もしかしたら、2重行政というと真っ先に大阪府市を思い出して、それ以外の2重行政は頭に浮かばないかもしれません。
しかし小生は、かつては2重行政というのは、<国の地方出先機関が地方自治体の事務と重複することが問題視されている国と都道府県の関係>だったように記憶しています。
おそらく、日本全国いたるところで、2重行政と2重行政の弊害はあるのでしょう。国と都道府県の関係では、力関係がはっきりしていますし、東京都を除く道府県はおおむね国から地方交付税交付金をもらっている弱い立場にありますので、大問題にならない。問題があるのかもしれないが、顕在化しにくい、と言うことなのかもしれません。
ところが政令指定都市となると、市のほうが財政的にもかなり豊かになり、力関係が対等に近くなりますから、2重行政(=権限争い)が問題化するのでははないでしょうか。
都道府県と政令指定都市の2重行政についてもう少し詳しく見てみましょう。たとえばこちらをご覧ください。
大阪だけじゃない「二重行政」解消に動く政令市―林文子・横浜市長「事務・事業引き受けるから県税戻して」大阪都構想をめぐる住民投票で問われた政令指定都市の「二重行政の弊害」は、なにも大阪に限ったことではない。横浜や京都など他の政令指定都市でも活発に議論されている。ただ、橋下徹大阪市長のように「市の廃止」を訴えるではなく、逆に市の権限を強化し、事実上、道府県からの自立を目指す動きが大勢だ。
ここで注目すべきは、<ただ、橋下徹大阪市長のように「市の廃止」を訴えるではなく、逆に市の権限を強化し、事実上、道府県からの自立を目指す動きが大勢だ。>ということ。そして、<「事務・事業引き受けるから県税戻して」>権限の委譲には財源の委譲が伴わなければいけない、ということ。
大阪府・市に二重行政の問題を解決する方向としては府の権限を強化する(財源も移す)と言う方向と、市の権限を強化する(財源も移す)という方向の2つがある、と言うことでしょう。
府の権限を強化する、と言う大阪都構想が正しくない、と断定はできないとしても、この2つの方向のどちらが正しいのか、これまた難しい問題なのではないでしょうか。
政令指定都市と言う制度が作られた背景には、大都市はひとつの行政単位として、都道府県並みの権限をもたせたほうが合理的、という考え方があったはずです。そういう考え方に基づいて政令指定都市は、増えてきました。大阪都構想はそういう流れに逆行しています。
都道府県とと政令指定都市の権限が重複している、一般的には…あえて言うなら組織論的には…ありえないでしょう。府の役割はここまで、市の役割はここまで、と決まっていなくてはならない。それぞれの役割分担が明確になっている、それが組織と言うものでしょう。
政令指定都市は、都道府県並みの権限を持っているのでしょうが、そのぶん都道府県の権限は削られている、と考えるべきでしょう。つまり、基本的には都道府県は政令指定都市には口出ししない、というのがあるべき姿なのではないでしょうか。そうすれば、「2重行政」は回避できるということになります。
とはいえ、繰り返しになりますが、完璧な組織などありえない、ゆえに「2重行政」の問題が生じる、政令指定都市と都道府県の間においてもおなじ、と言うことでしょう。
しかし、大阪についていえば、なにやら特殊な事情がありそうです。完璧な組織は存在しない、だから部署同士(大阪なら府と市)が話し合って調整すべき。2重行政があるなら府と市で話し合って解決すればいいじゃないか、と言う理屈が通用しないようなのです。
「答えろや! 答えてみぃや!」花谷氏は維新側が都移行で府と市の二重行政が解消できるとしている点を疑問視し、「再編しなくても、府市と両議会で政策協議をする会議を作り、連携すれば解決できる」という内容の主張を繰り返した。
・・・・(中略)・・・・
やりとりをじっと聞いていた松井氏が突然、憤慨した様子で「大阪市長がやりたいことに、(知事として協力せずに)予算もつけません。そしたら、どうするんや」と仮定の話で質問。指をさして「どうするんや。答えろや!」「答えてみぃや!」と迫った。
話し合いで解決できる、出来ない、では、水掛け論になってしまいますが、大阪都構想支持者の人、とりわけ大阪在住の人は話し合いでは2重行政は解決出来ない、と言います。
実際、大阪府と大阪市の関係は、必ずしも良好な関係とは言い難かったようで、かなり昔から「府と市とあわせてふしあわせ」などと言われていたそうです。そしてそういう事実があることについては、大阪都構想反対派のひとも否定はしない。
いつごろの昔か、そうだったのか、なぜそうなったか、と言うことについては、大阪の人でもわからないらしい。ただ、そういう事実は存在する、のだそうです。
「もう何十年も『ふしあわせ』の状態が続いている。いくら話し合ってもらちが明かない、だから問答無用で大阪市をつぶしてしまえ。」ここまであからさまには言わないが、つまるところそういうことらしい。
ということは問題は「2重行政」と言う全国的な不変的は問題ではなく、「府と市をあわせてふしあわせ」のほう、つまり大阪固有の問題なのではないでしょうか。
以下は余談かつ小生の憶測です。
小生は、もともと大阪には都市の自治の伝統があったのではないかと思います。それに対して「大阪府」はあとから(明治以降)作られた。そこで中央集権政府(府)対都市の自治(市)という対立構造が出来て、それが定着してしまったのではないかと思います。
いったん定着してしまえば、そもそも何でケンカしていたのかはわからなくなってしまって…子供のケンカでそんなのがあるでしょう…対立している、と言う事実だけが残る。
というわけで、大阪の人たちは、なぜ「府と市をあわせてふしあわせ」になったのかは知らないが、そういう事実だけは知っている。
まあ、こんなことではないでしょうか。
大阪府と大阪市の「府と市をあわせてふしあわせ」はどういう関係だったのでしょうか。
大阪都構想を提唱した橋下大阪府知事(当時)が、知事の私的諮問機関として、「大阪府自治制度研究会」を発足させました。
この研究会の、平成22年9月の「中間とりまとめ」には、
大阪の問題の本質は、府市間の二重行政の存在というような表層的な問題にあるのではなく、
・あたかも「二つの大阪」というものが存在し、
・両者は「市は市域、府は市域外」という区域分断的な機能分担のもと、
・協調することなく、それぞれが独自に全域がほぼ都市化した狭隘な大阪府域で都市経営を行い、
・結果として、大阪全体における都市経営の責任が不明確な状態になっているという、
言わば「二元行政」とも呼ぶべき状態にあることを明確にした。
小生は「2元行政」のほうが実態に近かったのではないかと思います。つまり、お互いに干渉しあうというよりは、無視して勝手にやっていた、と言うのではないでしょうか。
大阪都構想が実現すれば「府と市をあわせてふしあわせ」と言う状態は解消できるのでしょうか。
小生は、なんとなく、ですが、それは出来ない、と思います。
橋下や大阪維新の会は、府と市の利害関係の調整は話し合いでは解決できないから、大阪都構想により府が市を統合し、権限を奪うことで、話し合い不要・調整不要にしてしまえ、と言うことですね。もし、こういう表現がどぎつすぎる、というのなら、意思決定の迅速化のため、権限を集中させる、と言えないこともありません。
しかし、そうしたからといって、利害の調整自体が不要になるわけではなく、権限を持った者が調整をするだけのこと。そして、もしその権限者が利害調整をうまくやる能力があれば「ふしあわせ」は解消するかもしれませんが、そうでなければダメでしょう。
とまあ一応理屈を述べてみましたが、小生が言いたいのはそんなことではなく、「ふしあわせ」の状態は理屈で理解できるような現象ではなく、感情的、情緒的なものではないか。だとすれば、行政機構改革などという「理屈」で、解決できるものではないのではないか、ということなのです。
府と市の間に、対立感情のようなものがあるとして…それがどの程度のものかは、わかりませんが…それは、制度が変わったからといってなくならない。制度としての市はなくなっても「ふしあわせ」の感情は残るのではないか。あるいは、制度としての市がなくなることにより潜在化したり、かえって対立感情が先鋭化したりするのではないかと思います。
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