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前の章では、「大阪都構想の効果額」すなわち府市統合によって節約できる「2重行政の無駄」の金額が、大阪維新の会が期待したほどには大きくなかった、ということをお話ししました。
この章では、大阪維新の会の言う「2重行政の無駄」について検討しますが、その前になぜ「効果額」が期待外れだったかについて述べたいと思います。
なぜ、こういう結果になったか。ちょっと極端な言い方をしてみます。すなわち、「そもそも行政に無駄はない。だから無駄を省いた金額である『効果額』もでてこない。」
そんな馬鹿な、と思われるかもしれません。しかし、行政のやることは、議会によって決められたこと、つまり、議会が意義あると認めたものを実施しているのです。そういう意味で、行政のやることに無駄はない。
この「効果額」を算出するに当たっては、府と市の現行の施策で似たようなものを洗い出して重複がないかを探したのでしょう。それは、府市の職員が作業をしたはずです。府・市の職員は彼らのやっている仕事の、議会によって確認され意義について十分承知しています。そういう人たちが「行政の無駄」を探し出すこと自体に無理がある。そういう意味で府市によって試算された「2重行政解消の効果額」が大したことがない、というのは、ある意味では当然のことなのです。
ただし、意義付けされている様々な施策に優先順位をつければ、優先順位の高いもの、低いものがあるでしょう。財源が限られている以上、優先順位の高いものを実施して、低いものを割愛する必要があります。そうして割愛されたものはムダといえば言えないことはないかもしれません。
府・市の職員にこういう作業をやらせるなら、予算額にして何パーセントを削れ、というような指示でも出さない限り…そうして出てきた「無駄」が本当に無駄かどうかは別問題として…「効果額」は出てこない。そうでなければ、政治家自らが類似している施策を「事業仕分け」的なセンスで見直すしかないのではないかと思います。
ここまで考えてきて、大阪維新の会の言う「行政の無駄」は、今まで述べたようなものとは違うと言うことに気づきました。
今まで述べてきたような「行政の無駄」は業務の重複による無駄ですが、大阪維新の会の言う「2重行政の無駄」は「ハコモノ」の重複のことを言っています。あるいは、それらが経営に行き詰まって発生した損失のことを言っています。過去に行った開発ないしは建設で、すでに発生してしまった「無駄」なのです。
いま現在進行中の(開発ないしは建設中)プロジェクトが将来破たんするかどうか、あるいは無駄になるかどうかは予想できないでしょうし、仮に予想可能だとしてもそんなことは口に出せないでしょう。
さらに、将来計画される案件について、府市統合しなかった場合に将来発生するであろう無駄=「ハコモノ」の重複の無駄を予測し算出することも出来ないでしょう。
大阪維新の会の言う「2重行政の無駄」の事例を詳しく見てみましょう。
これ↓は大阪維新の会ホームページ 「現状06 事例から見るお金の無駄」です。
「1.象徴的な事例」として、りんくうゲートタワーとワールドトレードセンターを挙げ、「府市それぞれでベイエリア開発を行い、双方とも経営破たん」した、と言っています。
しかし、両者は立地も目的も違います。この2つが競合し、顧客を奪い合ったというよりは、バブルの時代のイケイケムードの中でそれぞれが需要予測を誤った、と見るべきでしょう。
「その他の事例」も確かに似てはいますが、使用目的が違っていたりします。
たとえば体育館でも、スポーツ観戦用の体育館と、市民がスポーツを楽しむ体育館では違いますね。図書館でいえば、貸出と資料収集の2つの機能があり、資料収集では、異なっているということがあるかもしれません。
さらに言うなら、仮に同じような施設が同じところに2つあったとしても、その施設の利用率が両方とも高ければ、2重であっても、無駄ではない。たとえば、府立病院と市立病院が隣り合わせにあって、診療科目だとか、設備だとか全く同じでも、両方の病院には患者がつめかけ、いつも混雑している、というなら、2重であっても無駄ではない。
要するに、立地・目的・利用率等を細かく見なければ、ダブっていて無駄、とは言えないでしょう。
ついでに言いますと、大阪で多くのハコモノだとか土地再開発のような案件が破たんしたのは、府と市で競ったというよりは、東京に負けるな、みたいな意識が大きかったのではないかと思います。
さらについでですが、大阪維新の会はりんくうゲートタワーとワールドトレードセンターが「高さを競い合う!?」なんて言っています。いかにも府と市で高さを競い合ったみたいに思われますが、実態は、ビル同士で競った、あるいは建築業者が競ったみたいな話で、府と市が競ったかどうかは疑問だと思います。
なお、維新の会のホームページには載っていませんが、大阪府立大学と大阪市立大学も「2重行政」の事例として挙げられます。市立大学のホームページなどを見ると、真剣に統合を検討していたように見え、また大阪都構想が住民投票で否決されてもその姿勢は変わらないように見えます。
少子化によって将来学生数が減少していくことが予想されるので、統合も検討しなければならない、と言うようなことらしいですが、統合による費用削減というようなことより、シナジー効果のようなものを狙っているようです。
大阪維新の会のホームページでは、そのあとに「現状08 役所経営の失敗」として事例がたくさん並んでいます。
ずいぶんたくさんありますね。
しかし、これに対応する府の失敗事例は示されていません。つまりこれらの事例は2重行政の失敗ではない、府と市が競ったのではない、市の単独の失敗ということになる。
そして最後に「これだけ失敗を重ねるのは、“大阪市役所”というシステムに問題があるのではないか?」なんて書いてあります。、まさに大阪維新の会の言うとおり“大阪市役所”…に問題がある。「役所経営の失敗」であり、「2重行政の無駄」ではないのです。
では、大阪都構想でそのシステムの欠陥がカバーできているか、というとそんなことはない。大阪都構想実現後の大阪都も「役所」でしょう。また失敗する可能性はある。また、大阪都ならぬ東京都も同じような失敗を臨海副都心でやっています。大阪都構想というシステム(行政機構)のなかに失敗を防ぐ仕組みはないのです。
具体的に言えば、「大阪都」がワールドトレードセンターとりんくうゲートタワービル…とりあえずこれらが2重投資である、と言うことにして、ですが…を同時に建設する、という決定をする可能性はあるでしょう。
そして、仮にどちらかひとつを建設すると決定したとしても、とてつもなく大きなビルを建設すれば、2重投資ではなくても「無駄」が生ずる可能性はあります。
2重行政がなくても2重投資と言う例はあります。本州と四国の連絡橋は3本ありますが、これは2重投資ならぬ3重投資じゃないでしょうか。建設したのは国なので、「2重行政」ではない。おそらく、3つも作るのはムダ、と言う声はあったのでしょうが、それぞれの地元の強い要請を国が切り捨てられなかったのでしょう。
上記のタイトルは出来が良くないな、と我ながら思いますが、このタイトルで言いたいことは、当初の大阪都構想のなかには、「2重行政の解消」という目的はなかったのではないか、ということです。
前に引用しました大阪維新の会の「大阪都構想について」をご覧ください。
大阪都構想について(大阪維新の会ホームページ)
そして次の資料
「都構想の意義について」
2013年11月21日 特別顧問 上山信一(慶応大学教授)
上山信一氏は、俗な言い方をすれば大阪都構想の言いだしっぺみたいな人で、この時点では大阪府・市の特別顧問。大阪府市統合本部会議にとして出席していました。
この資料で上山氏は「統合効果額」にとらわれるな、と言っています。
いつごろから、そして誰が、なぜ「2重行政の解消の効果額」と言いだしたのかはわかりません。
小生は、都構想賛成派の人たちが、そもそもわかりにくい大阪都構想をわかりやすく説明するために言いだしたのではないか、と想像しています。おカネの無駄を省くというのはわかりやすいですよね。
「2重行政の解消」と言う理屈がなければ、大阪都構想はここまで有名にはならなかったかもしれません。
しかし、実際に試算してみたら、無駄の金額は大したことはなかった、それなら大阪都構想は不要、と考える人が出てきて、都構想賛成派の人たちは自ら墓穴を掘った、みたいなことになったのではないか。
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