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大阪会議騒動

大阪都構想が住民投票で否決されて「大阪都騒動」はオワリ、めでたしめでたし、とはなりませんでした。すなわち、住民投票で大阪都構想が否決された結果として(?)大阪都構想の「対案」である「大阪戦略調整会議」がクローズアップされ、騒動の中心となりました。

大阪戦略調整会議は略して「大阪会議」というらしい。「大阪戦略調整会議の設置に関する条例」の中でも「大阪会議」と略されています。というわけで本稿のタイトルは大阪会議騒動。

経緯

大阪都構想反対派の意見として、府と市の「2重行政」があるなら、府と市で話し合って調整すればいいじゃないか、なにも府と市を統合する必要はないだろう、というものがあったことは、当ホームページでご紹介済みです。

「大阪会議」が大阪都構想の対案として位置付けられたのは2014年9月。具体的には、2014年9月25日、松井大阪府知事が、特別区設置協定書案を議会に提出したのに対して、大阪自民党が大阪戦略調整会議設置の条例案を提出。大阪市会でも同様の動きがあったらしい。

その後紆余曲折がありますが、住民投票により大阪都構想が否決されました。この間は、「大阪戦略調整会議」はあまり注目されていない。そして、住民投票で大阪都構想が否決された後、再び「大阪戦略調整会議」が脚光を浴びることになります。

そのあとのことは Wikipedia「大阪戦略調整会議」を参照しましょう。

(前略)

経緯

2015年6月1日、自民党が「大阪戦略調整会議」の設置条例案を提出した。維新が「都構想の(自民側の)対案である同会議を一日でも早く始めるべきだ」として賛成。しかし、自民は全会一致での可決をめざすなどとして、他会派と同様に賛否を表明しなかった。[2]

6月9日に、自民党が、公明党との関係に配慮し、賛成に転じた。だが、大阪会議の事務局となる「府市連携局」には反対した。[3]

自民のある市議は、「大阪戦略調整会議」の設置条例案に賛成した維新に対し、「今回は継続審議で、9月議会に向けて批判された点を踏まえてブラッシュアップしていくつもりだった」と憤った。[3]

会議

第1回(2015年7月24日)
住民投票で否決された大阪都構想に代わり、二重行政の解消などが話し合われる場と期待された。だが、初回会議は約2時間、入り口の議論で紛糾し、モメただけで会議は終了した[4]。

第2回(2015年8月10日)
自民党大阪府議団が、大阪会議に欠席[5]。

第3回(2015年9月28日)
自民などのボイコットで第2回が流会となったため、事実上2ヶ月ぶりに再開した格好となったこの回では、議事進行のあり方を協議するため、各会派の代表者らによる代表者会議(10人)の設置を決めた[6]。

(中略)

出典

1.…略

2. 法定協と大都市局の廃止を可決 大阪市議会委 日本経済新聞 2015年6月6日

3. ポスト都構想枠組み可決、かじ取り役 自民に 市議会  日本経済新聞2015年6月11日

4. 橋下氏失笑 大阪会議モメただけで終了

5. 大阪会議、自民府議団欠席へ 定足数満たず不成立も? 産経新聞2015年8月10日 

6. 大阪会議2か月ぶり再開…維新と自民など対立 読売オンライン2015年09月29日配信 2015年11月3日確認


橋下センセイにうまくやられた

なんだか、へんてこりんな話ですね。自民の提案に維新が賛成。自民を含め他の会派は当初は賛否を保留。公明、自民が賛成に転じて条例が成立すると、橋下センセイは<「制度として不完全極まりない。」と批判(出典[3])。>そして、<初回会議は約2時間、入り口の議論で紛糾し、モメただけで会議は終了した[4]。>

橋下センセイのいう「制度として不完全極まりない。」とは具体的には「大阪会議は事務局もなく、意思決定の方法も練られていない」(こちらをご参照)ということでしょう。普通この種の会議には事務局がつきものです。

「意思決定の方法」云々というのは、具体的にはどういうことか書かれていませんが、いろいろ議論が出来るでしょう。小生が思いつくのは、たとえば、

自民党議員が<ブラッシュアップしていくつもりだった>というぐらいですから、制度は不完全だったのでしょう。

もう一つの「入口の議論」とは<橋下徹大阪市長(46)ら大阪維新が、都構想の柱だった大阪府市の二重行政の解消を優先課題とすることを目指し、「二重行政はない」とする自民などが議題とすることに消極的だとして、大阪会議の規約に「大阪都構想の対案」である旨を明記するよう求めた。>ということ。

何を議論するのか、あるいは会議の目的は何か、と言うことが明確になっていなかったらしい。

いずれにせよ、制度の問題にせよ、会議の内容の問題にせよ、正式な会議を開く前に十分詰めておくべきだったのでしょう。自民党(アンチ橋下派)の準備不足といえます。

しかし、そもそも、「制度として不完全極まりない」のなら、橋下センセイは維新に「大阪会議」に反対させればよかったのです。入口の議論でもめるのも、条例案を可決する前にやればよかった。維新は「大阪会議」を紛糾させること、「大阪都構想の対案」をつぶすことが目的で、条例案に賛成したということでしょう。橋下センセイはおそらく最初から話し合うなんていう気はなかった。アンチ橋下派は橋下センセイにうまくしてやられたのでしょう。

自民党が第2回の会議に欠席したのも、印象を悪くしたかもしれません。どうせやる気のない橋下が市長として出席している限り、会議での成果は望めません。逆に言えば、橋下センセイがやめるまでということで…市長を辞めることは明らかでした…辛抱して橋下のイチャモンを受け流しておけばよかったのではないでしょうか。


「大阪会議」は都構想の対案ではないし、対案は必要ない

しかし、何と言っても、自民党(アンチ橋下派)の印象を悪くしたのは、橋下センセイの「大阪会議を大阪都構想の対案として位置付けろ」という要求に明確に答えられなかったことでしょう。さかのぼれば、自民党の失敗は、橋下先生に「大阪都構想の対案を出せ」といわれて、苦し紛れに「大阪会議」を対案と言ってしまったことにあるのでしょう。

ここはあっさり、「大阪会議は対案ではない」と言ってしまえばよかったと思います。自民党としては「対案だ」とウソをついていた、と言うことになりますが、そこはなんとか言い訳をする。

ポイントは、大阪都構想の対案にはなりえない、ということと、大阪都構想に対案は必要ない、と言うことでしょう。

大阪都構想は、これが実現すれば大阪の諸問題はすべて解決、というような壮大な構想です。大阪都構想を実現して、2重行政を解消することで行政の無駄を省き、余ったおカネで財政を建てなおし、インフラを整備する。そうすれば大阪の経済が活性化されるので税収が増える。そのおカネで福祉も充実できる。ついでに、大阪市を解体するので、既得権力の打破もお役所改革もできる。こういうものです。

それに対して「大阪会議」は2重行政があるなら話し合って解決すればいいじゃないか、と言うだけの話。2重行政がある、とは言っていない。大阪の諸問題をすべて解決できる、というものではない。大阪都構想に太刀打ちできるようなものではないのです。 当ホームページの「大阪都構想を考える」で詳しく述べましたが、大阪都構想はそれ自体、きわめて怪しいのです。そもそも、2重行政と言う概念があいまい。2重行政の弊害の実態がよくわからない。2重行政解消の効果額は橋下センセイ曰く「17年間で2700億円」、すなわち年に直して159億円で府市予算額合算の0.34%。これでは財政再建もインフラ整備も出来ない。

そして、既得権の打破やお役所改革は大阪都構想なしでもできるし、やらねばならない。大阪市をなくしても、既得権やお役所仕事は大阪府と特別区に移るだけです。

ゆえに、大阪都構想に対案は必要ないのです。極端なたとえをいえば、詐欺話に対案を求める人はいないでしょう。

自民党は、橋下センセイの「対案と位置付けろ」と言う要求に対しては、「対案とうそをついた」という批判を恐れずに、以上のようにきちんと説明すればよかったのだと思います。そのほうが、マスコミや有権者にわかりやすい。「大阪会議」は大阪都構想の対案ではあるが、大阪都構想という大きな構想の一部の対案に過ぎない、とでも言いわけをすればよかったのでしょう。


人々に訴える

この大阪会議騒動がのちの大阪ダブル選において、橋下陣営にプラスの要因となったという説がありますがどうでしょうか。小生は、橋下センセイまたゴネている、ぐらいにしか思っていませんでしたが、外からみたら何やっているんだ、と言うことになるのかもしれません。少なくとも良い影響があったとはいえないでしょう。

そもそもの間違いは、大阪会議を大阪都構想の対案と言ってしまったことにあるのでしょう。そのため、「大阪都構想がダメなら大阪会議をやろう」という維新の声に押されてしまい、準備不足のまま大阪会議を開催し、橋下センセイに付け入るすきを与えた、ということでしょう。

ただ、橋下センセイの「対案を出せ」という攻撃に耐えられず、「対案」と言ってしまったのは、大阪都構想の正体が明らかでなかった時点では仕方がなかったのかもしれません。

「君子は豹変す」と言う言葉があります。立派な人物は自分が誤っていたと分かった時には、豹の皮の斑点が黒と黄色ではっきりしているように、態度を改める、と言うことです。 自民党(アンチ橋下派)もそうすべきだった。

「大阪会議は大阪都構想の対案ではない」と言うことによって、大阪の人々には、大阪都構想が夢のような構想であることが明らかになり、同時に「夢物語」である大阪都構想には対案は必要ない、と言うことがが明らかになったと思います。

大切なのはそのことを人々にわかってもらうことであり、橋下センセイに「ウソつき」と批判されるのは大したことではない。

アンチ橋下派の基本的な態度としては、橋下センセイと争うことをやめて、人々に語りかけるという態度を取るべきなのでしょう。

橋下センセイを相手にして感情的になってはいけない。話し合いをするつもりのない橋下センセイには何を言っても無意味ですが、そこは我慢する。橋下センセイと論争するのは仕方がないのですが、人々に説明をするつもりで橋下センセイと話をする。人々の代理人?であるマスコミにきちんと説明するということでしょう。

(「大阪都騒動」・おわり)


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