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2012年4月以降、石原慎太郎は、おおむね尖閣諸島購入の案件に注力していましたが、その途中で、新党結成に意欲をみせ、記者会見で発表する寸前、というところまで行ったらしい。ただし、石原は、橋下徹率いる大阪維新の会との連携も探っていました。
このあたりについては、2013年2月の亀井氏の証言があります。
ところが同6月13日、石原氏に呼ばれて都道府県会館の東京事務所に行ったら「亀井さんらと新党を結成する。都庁の会見で発表する」と言う。だが翌日、園田博之氏(たちあがれ日本幹事長=当時)から電話があり「石原氏は23日に維新政治塾の講演を頼まれている。その前に新党結成を打ち上げるのはまずいから発表を延ばす」と言われた。その後も石原氏は「新党結成は9月まで待ってくれ」と煮え切らなかった。
9月初旬に、東京都の尖閣諸島購入が失敗に終わりました。そして、自民党総裁選で、石原伸晃が立候補して敗れました。石原慎太郎が、新党結成に前向きになったのは、10月になってからです。はっきりしたのは13日の時点。
このあと、石原慎太郎とたちあがれ日本は、橋本徹率いる日本維新の会と合流することになりますが、この時点では、それは決まっていません。そして、国民新党は「石原新党」に加わらないことは明らかでした。たちあがれ日本だけを母体とするなら、たいした数は確保できません。なぜ石原は、以前より不利な状況になって、新党結成を決断したのでしょうか。なぜ<石原氏は「新党結成は9月まで待ってくれ」と煮え切らなかった>のでしょうか。
産経新聞の記事より。
石原氏は今年4月、新党構想の「白紙」を宣言。代わって、都による沖縄県石垣市の尖閣諸島購入計画を発表した。しかし、9月になり、尖閣諸島は国有化され、長男である自民党の石原伸晃前幹事長が党総裁選に敗れたことで、新党結成の障害は取り除かれたとの見方も出ていた。
確かに尖閣諸島の件に決着がついて暇になった、ということはあるかもしれません。しかし、6月13日の時点では、石原は新党結成に乗り気でした。このとき、尖閣諸島の件が9月に決着がつく、とまでは予想できなかったでしょう。だとすると、「石原伸晃前幹事長が党総裁選に敗れたこと」のほうが、重要な要因か?亀井氏も先に引用した資料で<自民党総裁選に長男の伸晃氏が立候補していたからだろう。>と言っています。
都知事4期目をやってくれたら、伸晃を総裁にする、という自民党との約束があったが、その伸晃総裁の望みがなくなって、自民党への義理立ての必要がなくなったか。慎太郎が新党結成した後に、伸晃が自民党総裁になれば、親子が別々の政党で争うことになる。それを避けたかったのか。あるいは、伸晃が首相になれば…この時点では、自民・民主の再度の政権交代は確実とみられていましたから、自民党の総裁になれば、首相になるのは確実…伸晃を操って、国政に影響力を行使できる、と考えたか。
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