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どうして4期目に立候補したの?

石原慎太郎は、1999年に都知事になり、その後再選、三選されて、3期目の任期が2011年4月までした。ご承知のように、石原慎太郎は4期目に立候補し、見事当選したのですが、最初は立候補する気はなかったようです。このあたりのことは、当ホームページの「石原慎太郎の言葉とおこない」にすでに書きました。

それで、「石原氏周辺」に神奈川県知事松沢成人氏を後継に擁立する動きがあり、松沢氏もその気になり、3月1日、立候補を表明。ところが、11日になって、石原慎太郎が立候補すると表明、松沢氏は結局、立候補を取りやめることになりました。

一説によると、事前の調査では、松沢氏では東国原に勝てないという結果が出、石原は、あんな田舎者に都知事をやらせるわけにはいかない、と思った、一方、事前調査では石慎太郎が出れば勝てる、と出ているので立候補した、という話があります。

石原氏の顔はつぶせない… 橋下氏が都知事選で東国原氏に乗れないワケ
zakzakニュース 2012年11月8日(一部抜粋)

そもそも、石原氏と東国原氏は「犬猿の仲」として知られている。

2007年の都知事選で石原氏が3選を果たした後、東国原氏がHP上の日記で「東京の傲慢は復活した」などと書き、石原氏は「田舎モンが東京のことをとやかく言うな!」と応戦した。 また、昨年4月の都知事選では、事前の情勢調査で「東国原都知事」が現実味を帯びたため、退任を示唆していた石原氏が急きょ出馬を決断したといわれている。

それでも、石原慎太郎が松沢氏を強力に応援すれば、東国原氏には十分対抗できたはず、何か納得できないな、とおもっていたところ、最近になって、自民党森元首相が、裏話を披露しました。

森元首相が告白「伸晃氏支援は石原知事との約束」
産経新聞 2012年10月1日(一部抜粋)

今回の総裁選では、かつて私が所属していた町村派で、安倍さんと町村さんの調整みたいなこともやらされたけど、もう町村派の人間じゃないからね。僕は初めから石原さんをやらなきゃならない約束があったんだよ。

 去年3月に石原さんのお父さん(慎太郎東京都知事)と約束をした。だからどうしても石原さんの応援をせざるを得なかった。

 都知事選告示直前に慎太郎さんが出馬しないという。自民党としては引き続きやってほしいが意志が固い。このままでは党執行部の責任問題にもなりかねない。当時の谷垣禎一総裁が大島理森副総裁に交渉をさせたが全く相手にされず、両氏から依頼を受けた私が息子の伸晃氏と2人で慎太郎さんに思いとどまるように説得した。

 「ここで都知事を降りたら党幹事長でもある伸晃君のためにならない。彼の首相の芽はなくなるよ」と僕は言ったんだ。夜中までかかったが、結果として引き続きやるということになった。そのときに都知事は「必ず息子を頼むよ」と。(以下略)

要するに、森氏は石原慎太郎に、「あんたの息子を首相にしてやるから、都知事をやってくれ。」と頼み、慎太郎は「必ず息子を頼むよ」と言った、ということですね。

この話が本当かどうかを知るには、一番いいのは石原慎太郎に確かめることですが、正直に答えてくれないかもしれないですね。小生は、この話は事実ではないか、と思っています。というのは、前回の自民党総裁選で、自民党長老が、石原伸晃を推している、といううわさがあったのです。石原伸晃は、とても総裁の器ではないにもかかわらず、です。そのことは、総裁選の過程の彼の発言で明らかになりました。また、谷垣氏も、早々に立候補を断念してしまいました。こういう動きの背後に、森元首相のいうような「約束」があったとすると、つじつまが合います。

石原慎太郎は、都知事4期目立候補の理由として「国家破綻の危機」とか言いましたが、少なくともそれだけではなさそうな気がします。


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