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石原慎太郎は、自分の言った言葉にも従わない、の事例。
1975年、初めて東京都知事選挙に出馬した際の演説にて、対立候補の美濃部亮吉に関して、
「…もう新旧交代の時期じゃありませんか、美濃部さんのように前頭葉の退化した六十、七十の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか」2011年2月10日の記者会見で、みんなの党の渡辺喜美代表が「4期16年は長すぎる」と石原知事の4選出馬を支持しないと発言したことについて、
「同感ですな。たまにいいこと言うね、渡辺君も」2011年2月27日、フジテレビの報道番組に出演して、
「人間が同じことを何回もやっちゃダメなんだ」「人心もうんでくるしさ。やってる当人だって、だれてくるし」
で、結果として、石原慎太郎氏は、都知事選に立候補したんですな。
まあ、前言を翻すことも、あってもいいんです。人間誰でも間違えることはあるのです。 ただし、どうして、立候補せざるをえなかったか、納得できる説明がほしいですね。
「4月の東京都知事選に、不出馬の意向を固めていた石原慎太郎知事(78)が11日、一転4選出馬を正式に表明した。同日午後1時に開会した都議会本会議場で『心身の衰えを感じるが、逡巡の上、国家破綻の危機感ゆえ、あえて知事選への出馬を決心しました。日本の心臓部であるこの東京が混乱することは国家の喪失。身命を賭して最後のご奉公をさせていただきたい』などと述べた。」(msn産経ニュース2011.3.11)
どうですか、納得できますか。隠居には、なんで都知事が国家破綻がどうの、と言うのかわかりませんね。なんで、石原慎太郎が立候補しないと、東京が混乱するんですかね。
記者もこのあたり、理屈がたたないとみて、このあとには、次のパラグラフ。
「石原氏は多選の弊害などを考慮して不出馬を決めていたが、出馬が予想される候補者の顔ぶれでは、有効投票数を獲得する候補者がおらず、再選挙となる可能性が浮上。都政の停滞による混乱を憂慮して最終的に出馬を決断した。」(同上)
ただしこれは、石原慎太郎が直接語った言葉ではなさそうです(あるいは記者の推測か)。
石原慎太郎は、後継者として松沢氏を考えていたようですが、彼では、人気がないから勝てない、とみたようです。しかし、人気のある石原慎太郎が、松沢氏をしっかり応援すれば、いいだけじゃないんですかね。
他にもいろいろ言われていますが、信頼できる情報かどうか不明なので、取りあげません。
ぎりぎりまで出馬表明をしない、というのは、石原慎太郎の常套手段みたいなもので、ただそれだけなのかもしれません。ぎりぎりまで情勢を分析し、勝てると思えば、他人を裏切っても出る、というだけなのかも。
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