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石原慎太郎の言葉とおこない2

「彼は自分の言葉にも従わない」ということの事例として、彼の進退問題を挙げました。これほどあきらかな事例は見当たりませんが、他にも石原慎太郎が他人を批判する言葉が彼自身に当てはまるものがあります。(以下、「悪質政治家・石原慎太郎の監視小屋 石原慎太郎の言動録 -この危険な政治家を監視する- 」…以下「監視小屋」と略します…からの引用)

2002年4月1日、都庁開かれた入都式にて新職員を前に、

「ルーチンワークにおぼれず、先輩に異議を唱えてほしい」
これにはコメントがついていて、「しかし知事自身が都庁の中で、『知事は自分に異議を唱えることを許さない』と思われている」らしい。「ある報道によると、知事の態度は、モタモタ説明したりすると、怒鳴るか、無視。説明書を投げつけられた幹部もいるという。」

2005年4月19日、公立学校長らを集めた教育施策連絡会で、

「最後は子どもにどうやってトレランス、こらえ性を植え付けていくか、培っていくかの問題だと私は思います」

常習的に人をののしる、威嚇する、という石原慎太郎氏のいえることですかな?

2005年9月10日、都内小選挙区の自民党候補3人の応援演説に立ち、前民主党代表の菅直人氏の地元で菅氏を批判し、

「随分、居丈高な物の言い方をする」

うーむ、石原慎太郎自身は「馬鹿」とか「殴っちまえ」とかよく言う人なんですが、こういうのは「居丈高」とは違うのかな?「居丈高」のほうが上品かな?つまり石原慎太郎氏は菅直人氏をほめたのかな?

2008年11月12日、横浜市で開かれた首都圏の8都県市首脳会議前に、兵庫県の井戸敏三知事が「(東京一極集中の打破には)関東大震災は(関西にとって)チャンス」と発言したことについて、

「役人の浅知恵だな。良く言えばばか正直。他人の不幸をチャンスとして喜ぶような表現は日本人の感性に合わない。政治家は言葉を大事にしないとね」

しかし、彼自身が言葉を大切にしているとは、隠居には思えません。このことは、すでに述べました。

こういう事例はまだまだあります。どうしてこんなことが起こるんでしょう。隠居には不思議でなりません。

石原慎太郎には、自分も他人と共通の規範に従うべきだ、という意識がないんでしょう。自分と他人を平等に扱っていないんでしょう。人は常に自分に従う対象でしかないんでしょう。

普通の政治家はこんなことが起こらないよう、言葉とおこないを慎みます。政治家はみんなにみられていますからね。こんなことをやっていたら信用を失います。政治家は信用を失ったらおしまい(のはず)です。

それにしても、普通の人なら、人に指摘されたら、以後自分の言動に注意しますよね。石原慎太郎は全然反省していないんでしょうか。わざとやっているんでしょうか(そうかもしれない。)

大体名前が「慎太郎」だなんて。ちっとも慎んでいない。言葉(=名前)とおこないが一致しない!


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