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石原慎太郎の昔といま

石原慎太郎が、以前言ったことと正反対のことを言った、という例。

(事例その1)
「成人年齢引き下げ」について、2009年01月16日の定例会見で、民主党が成人年齢引き下げの法案を提出する構えを見せていることについて、

「私はナンセンスだと思うし、ただの人気取りの政策だ。」
石原知事はかつて成人年齢引き下げを公約に掲げたことがある。
「最初の参議院に出たとき(1968年)、キャンペーンのひとつが選挙権を18歳にまで引き下げることだった。」「これは非常に間違っていた。」

(事例その2)
「国会等の移転」について
2001年11月21日、衆院の「国会等の移転に関する特別委員会」に参考人としての発言。
90年11月7日の国会における国会等移転決議について、

「私は終始反対だった。私は金丸(信)さんのわりと近くに座っていて、金丸さんが『おい石原君、君反対かい』と言うから、『私は反対ですな』と言って座った。」

しかし、94年に自民党有志がまとめた「21世紀委員会からの報告」には「首都機能移転は文明の画期的な発展の大きな引き金たりうる」と記されており、文責は石原慎太郎となっていた。

以上2例とも「監視小屋」からの孫引きです。

余談ですが、90年の国会等移転決議の際の採決の写真があって、石原慎太郎は起立賛成しているらしい。しかも、金丸氏とは離れたところだとか。自民党の大物金丸信氏に逆らった、という話を作るところが、いかにも石原慎太郎らしいですね。

まあ、思い違い、勘違い、記憶違いはあるでしょう。考えが変わることもあるでしょう。特に、議員としての言動は、所属政党(この場合は自民党)内でのお付き合い的なことで縛られることもあるでしょう。

隠居はこの2つともどっちでもいい、と思っていますから、石原慎太郎が態度を変えてもいい。石原慎太郎自身もそんなに真剣に取り組んでいない問題なので、以前何と言ったかも覚えていないのでしょう。彼自身が真剣に考えていることについては、彼の態度は一貫していますから(例、防衛、憲法など)。

しかし、なんらかの意見を表明するならば、それなりの理由があるはずで、その理由の部分をすっかり忘れて全く反対の立場に立つというのは、どうして可能なのでしょうかね。

そういえば、石原慎太郎は理屈なんかどうでもいい、という人のようにみえますね。であれば、昔言ったことと正反対のことを言っても、不思議ではないですね。

それにしても、それだけでは、そういうことが起こっても不思議でない、というだけで、正反対のことを言う直接の原因ではありません。なぜ、そんなことを言ったのでしょう。

多分、参議院議員立候補のときの公約は若者の「人気取り」だったんじゃないでしょうか。 そして都知事になったから、都民のご機嫌をとって「国会移転反対」といったんでしょう。


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