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石原慎太郎の歴史認識

石原慎太郎いわく、

2004年4月9日、記者会見で、小泉首相の靖国参拝への福岡地裁の違憲判決への見解を問われ、
「憲法違反だったら、憲法違反と言ったらいいじゃないか、そうしたら。私は、そもそも日本の憲法そのものが違反していると思うからね。存在として。憲法の成立過程から見たって、歴史的な正当性はないですよ、あんなものは」

隠居は、改憲賛成でも反対でもありません。靖国問題も、賛成でも反対でもない。したがって、石原慎太郎の発言内容はどうでもよろしい。隠居は言葉尻をとらえて、文句をいいます。「歴史的な正当性」について。

石原慎太郎は、要するに、日本国憲法はアメリカによって押し付けられた憲法だから、正当性がない、といいたいのでしょう。しかし、隠居は「歴史的な正当性」はあるのでは、と思います。

日本国憲法には、第9条の戦争放棄という、史上まれに見る(あるいはいまだかってない)条項があることは皆さんご承知のとおり。石原慎太郎にいわれなくても、まあ常識的でない条項だと思います。隠居もそう思っていますし、多分日本人の大多数がそう思っているでしょう。あるいは憲法を押し付けたアメリカも、そして全世界の人たちも。

なぜ、このような条項があるのか。「アメリカによって押し付けられた」というのは、安易な答えです。もう少し前まで歴史を遡り、そこから、憲法成立後の今日に至るまでの歴史を見る必要があります。

憲法を改正する手続は、定められています。ですから、日本人がアメリカによって押し付けられた憲法が良くないと思えば、定められた手続によって改定すればよかったのです。しかし、日本国憲法が今日にいたるまで、改定されていないことは、これも、皆さんもご承知のとおり。

1946年11月3日憲法発布から、すでに65年が過ぎようとしています。その間、日本人は、憲法改正を望まなかったと考えるほうが自然でしょう。この事実によって、日本国憲法は、その歴史的正当性(正統性?)を獲得した、というべきでしょう。

では、なぜ日本人は、憲法改正を望まなかったのでしょうか。

隠居は、「あの戦争は一部の軍人・軍国主義者の主導で行われたのだ、そのほかの人たちは彼らにだまされたり脅されたりしたのだ。」という意見には与しません。こういう意見は、日本国民の責任回避にほかなりません。国民は多少の疑問は持っていたとはいえ、一生懸命闘ったのです。

そして、「あれだけ頑張ってもダメだった、もう戦争はこりごりだ。」というのが、敗戦後の日本国民の心情だったのです。

平和憲法が、アメリカに押し付けられたものであったにしても、それは、このような、日本人の心情に根ざしていたがゆえに受容され、それは世代を超えて継承されてきたのでしょう。

繰り返しますが、隠居が問題にしたいのは改憲の賛否ではありません。「歴史的」という言葉を使う以上、「アメリカによって押し付けられた」というような短い時間のなかで考えるのではなく、もう少し長い時間のなかで考えるべきでしょう。

で、要するに、隠居は何がいいたいか、というと、石原慎太郎の歴史認識はこの程度のものだ、って言うことです。


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