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石原慎太郎いわく、
小学館「文藝ポスト」2000年秋号で
「三島さんには今度はもうちょっと綿密なクーデター計画を立てて、本気でやりましょうって言うわね(笑)。」 「今の日本は軍事政権でも擁立しない限りどうにも変わらないよ、本当に」
お気持ちはわかります。政治の現状を憂えていらっしゃる。
クーデターで日本が変わるか?多分変わるでしょう。いい方向へ?悪い方向へ?
これはわかりません。そもそも、いい方向・悪い方向ってどっち?というのが難しい。人によって千差万別。そこで、民主主義的手続、公開された討論と多数決がある。
多数決で決まったことは正しいか、正しくないか?答えは「わからない」。わからないから、とりあえず、多数決できめよう、ということだけです。
クーデターは民主主義的手続(あえて言うなら、民主主義は手続主義といえる)を否定するものです。
クーデターにより政権を掌握すれば、政治を一時的には「政権を掌握した側」の「いい方向」に進めるかも(かもですよ)しれませんが、そのあとは保証できない。
「政権を掌握した側」は、正確な現状を把握しにくくなります。「政権を掌握した側」に逆らうと命が危ない、ということであれば、だれも本音でなんか話しませんから。一方政権に擦り寄る連中は、政権側の耳に心地よい情報しかいいません。大体人間は一般的に、自分の耳に心地よい情報を好んで収集します。そういうゆがんだ情報に基づいて、正しい決定をすることは困難です。
仮に、失敗したとしても、後遺症は残ります。日本の戦前の昭和時代には、5.15事件、2.26事件という失敗したクーデターがありました。
民衆はこれを支持しました。クーデターを企てた人たちのやったことは正しくないにしても、その国を思う心は尊ぶべき、という理由で。
しかし、その後、命の惜しい人(ほとんどすべての人)は本音で話さなくなりました。その結果、「軍部」が政権を掌握し、太平洋戦争に進んでいった、という歴史はご存知でしょう。
小生はこういうことは常識だと思っていましたが、石原慎太郎は知らなかったようです。
ここに表れているのは、石原慎太郎の民主主義や政治権力への理解不足、歴史認識のなさです。
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