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慎太郎とオリンピック招致

慎太郎の、オリンピック招致活動をとりあげます。これには矛盾が満ち満ちています。

(2006年5月14日、フジテレビ[報道2001」に出演して)
なぜ1964年に続いて再び東京五輪なのかを質問され、

「オリンピックを招致する意義は国威発揚のため。日本人はもっと自信を持つべきだ」

(2006年7月3日、記者会見で)
北京オリンピック(2008年予定)についての発言
ナチスのベルリン五輪と対比されたようだが、との質問に、

「ああ、そうですね。国威発揚というのかな。周りの国の侵犯というものを続けながら、一種の覇権主義というものを遂行する、その一つのインパクト、デモンストレーション、その国力を見せることの正当化というんですか、相手を有無を言わさない形でねじ伏せる、そういう意図にやや似てるんじゃないかという気がしますな」

北京、ベルリン、そして招致しようとした東京オリンピック、いずれも「国威発揚」が目的のようですが、どこがどう違うのですかね。違わないんでしょうね。

(IOC ロゲ会長宛の書簡の中で)

「私の祖国日本は、第二次大戦後、自ら招いた戦争への反省のもと、戦争放棄をうたった憲法を採択し、世界の中で唯一、今日までいかなる大きな惨禍にまきこまれることなく過ごしてきました」

石原慎太郎は、戦争放棄をうたった憲法の改正に賛成だったんじゃなかったかしら?

2009年2月13日、2016年夏季五輪立候補ファイルをIOC本部に提出した東京オリンピック・パラリンピック招致委員会が都庁で行った記者発表で

「我が国は世界で唯一、第2次大戦ののち60年一貫して平和を築いてきた。その日本で五輪を開催することは世界平和への大きな貢献になる」
「世界に紛争は絶えないが、幸い私たちの国は、憲法という理念だけではなく、地政学的な条件も含めて敗戦以来、今日まで大小問わず危機にさらされることなしにきた。世界の他の地域で起こっている物事を眺めると、私たちの努力が正しかったという気がする。胸を張って、オリンピックの舞台を通じて世界に平和を呼びかけることができる」

国連をこき下ろし、北朝鮮、中国とは戦争をしてもかまわない、といっている人の言葉かしら。

石原慎太郎が、オリンピックは国威発揚のため、というのは本音で、それは、おそらく、ヒトラーと同様でしょう。そして、改憲賛成、戦争も辞せず、が石原慎太郎の本音で、世界平和を呼びかける云々は、オリンピック招致のための方便でしょうね。

オリンピック招致のためになりふりかまわず、ということだとしか思えません。

これでは、オリンピック招致に失敗するのは、当たり前ですね。

招致に失敗してよかったです。もう少しで日本人が大恥をかくところでした・・・と思ったらまたもや2020年に立候補!。


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