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石原慎太郎と皇室

石原慎太郎は、

「ABCからはフランスの極右政治家に例えて『日本のル・ペン』、中央日報からは『極右勢力の代表』、フィガロやリベラシオンからは『国家主義的思想の持ち主』『右翼ポピュリスト』と呼ばれるなど外国マスコミからは極右政治家と認識されている。」(Wikipedia)

日本で極右というと、普通は、皇室を尊崇ないし崇敬している、ということになるんですが、石原慎太郎はどうでしょうか。

2008年7月17日、全国知事会議で、2016年夏季五輪の招致活動で石原知事らによる皇太子への協力要請について宮内庁が否定的な考えを示したことについて、

「宮内庁のばかが余計なことを言って」
「(五輪招致は)国民が熱願すること。宮内庁が反対する理由はないと思う」
「せっかくある皇室をわたしたちは大切にしてきたんだから、この際、お国のために皇太子さん頑張ってくださいよと声を上げるのはごく当たり前だと思う」

上記の3つの発言のうち、「宮内庁のばか・・・」についてははあとで述べます。「国民が熱願すること」だったかどうか、は、たぶんそうでなかったとは思いますが、これもさておき、「せっかくある皇室を・・・」が引っかかります。

この発言、「私たちは大切にしてきたんだから、」頑張ってください、というのは、皇室と取引をしよう、利用しようというのでしょうか。これは尊崇・崇敬という態度ではないです。利用する相手、取引する相手は、尊崇・崇敬の対象になりえますか?

日本の皇室が、政治権力と無関係になってから久しいのですが、その間尊崇・崇敬されてきました。徳川幕府ですら、少なくとも形式的には、天皇の下にあったのです。明治、大正と昭和20年までは、天皇が国家元首であったといえるでしょうが、いわゆる「君臨すれども統治せず」という立憲君主制内の君主であったといえるでしょう。少なくとも天皇個人はそのように努力していたらしいです。

皇室が尊崇・崇敬される原因が、皇室が政治権力(損得を調整する力)を持っているかいないかとは無関係であることは以上であきらかです。むしろ、皇室が政治権力をもっていなかったから、永いあいだ尊崇・崇敬の対象でありえたのではないでしょうか。世の中の損得と無関係に存在するから、尊崇・崇敬されてきたのではないでしょうか。

恩恵を施してくれた人を尊崇・崇敬した(あるいはしたように思う)、ということはあるかもしれません。しかし、それだけでは長続きしません。そのひとが恩恵を施してくれなくなったら、その人に対する尊崇・崇敬(らしき感情)は消えてしまうでしょう。自分が期待していた恩恵を、そのひとが、自分ではなく他の人に与えたとしたら、なおさらです。

天皇ないし皇室は、日本国憲法に規定されている存在ですから、日本国政府とは無関係ではありえません。しかし、その政治権力とは無関係でなければならない、というややこしい存在です。そのへんのややこしいところを調整するのが宮内庁の役割ではないか、と隠居は思います。したがって、宮内庁が、皇室の言動が政治的に中立かどうかに神経をつかうのは、「馬鹿」ではないと思います。

ところで、全国の右翼の皆さん。石原慎太郎は皇室を尊崇していません。都庁前に街宣車を並べて石原慎太郎に抗議しましょう。


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