トップページへ・
「『石原慎太郎批判』の概要」へ
「小論文集」のトップへ・
「石原慎太郎と政治」のトップへ
前のページへ
引き続き、石原慎太郎の言動の中で、隠居が「ポピュリズム(=大衆迎合)」ではないか、と疑っているものを紹介します。
(事例その1)
(東日本震災発生当日)、地震の影響で首都圏の公共共通機関がまひし、約10万人の帰宅困難者が出た問題に言及し、全線運休したJR東日本について、
「早々に駅のシャッターを閉めて構内にいた人を外に出した。JR東の体質が露呈した。私は許せないと思う」と声を荒らげた。(2011年3月14日 msn産経ニュース)
いかにも都民思いの知事さんのお言葉のようです。しかし、ホームに人があふれ、線路に転落する人が出るかもしれません。あるいは、電車がこないのに業を煮やして、線路を歩いて帰ろう、というひとが、線路に次々と下りる、という事態になったら、運転再開はさらに困難になるでしょう。
当面運転再開の目途がたたない、とわかったら、いったん駅構内から人を外に出す、というのは、妥当な処置ではないでしょうか。このことを知ってか知らずか、JRを批判するのは、「大衆迎合」くさいですね。
(事例その2)
福島第1原発事故で放水活動を行って帰京した東京消防庁ハイパーレスキュー隊員らの活動報告会が21日、東京都渋谷区の消防学校で行われた。石原慎太郎知事は参加した115人を前に感極まり、何度も言葉を詰まらせながら感謝を述べた。
「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…、もう言葉にできません。本当にありがとうございました」。隊員からの活動報告を受けた石原知事は、涙を隠さず、深々と礼をした。(SankeiBiz2011.3.21)
本心からであれ、大衆迎合の芝居であれ、どちらでも、ここはこうしなければならないでしょう。ネット上の評価も、賛否真っ二つに割れています。ただ、これを大衆迎合、と決め付けるには、証拠不十分でしょう。これ以上消防の話をするのはやめておきましょう。
隠居がなんとなくおかしい、と感じるのは、石原慎太郎の普段の好戦的態度を知っているからなのです。
2005年6月1日付の英紙タイムズとのインタビューで、2008年の北京五輪ボイコットを呼び掛けるとともに、中国が尖閣諸島(中国名・釣魚島)を占領しようとしたら、日本はフォークランド紛争のような小規模な戦争を遂行すべきだと述べた。
(週刊文春 2005年5月12日号)
石原慎太郎はほかにも、北朝鮮・中国とは戦争をしてもいい、という主旨の発言をしています。
で、仮に戦争をしたとして、当然死傷者が出るでしょう。敵にも味方にも。つまり、戦争をしてもいい、ということは、人命軽視ですね。
仮に戦争をしたとして、当然死傷者が出たら、人命軽視の石原慎太郎は、亡くなった戦闘員の家族と、帰ってきた戦闘員に涙を流しながら、お礼を言うんでしょうね。それでまた「大衆」に受けるんでしょうね。
まずは、戦闘(または戦争)をなくす努力をすべきじゃないですか?涙を流してお礼を言わなくて済むように。それとも涙を流してお礼をいいたいですか?「大衆」に受けるために。
なんとなく変ですよね。自分で問題を起こしておきながら、その結果で賞賛される、と言うような感じ。こういうのマッチポンプって言うんですよ。自分でマッチで火をつけて、自分でポンプで水をかけて消す、火を消したことでほめられる・・・。
あれ、消防の話にもどっちゃった・・・。
リンク大歓迎!
このWebサイトはリンクフリーです。
次のページへ
「石原慎太郎と政治」のトップへ・
「小論文集」のトップへ
「『石原慎太郎批判』の概要」へ・
トップページへ