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石原慎太郎と長期政権

「石原慎太郎の言葉とおこない」で、石原慎太郎が4回目の都知事選で、不出馬から出馬へと突然態度を変えたことを取りあげましたが、これに関して別の角度から取りあげます。

2011年2月27日、フジテレビの報道番組に出演して、

「人間が同じことを何回もやっちゃダメなんだ」 「人心もうんでくるしさ。やってる当人だって、だれてくるし」

うーむ、この人は政治の恐ろしさを知らないな。

長期政権が恐ろしいのは「人心が倦む」とか、政治家自身が「だれてくる」とかいう問題ではないのです。

価値(財・サービス)の生産はもっぱら経済の役割で、配分は経済においても交換‐流通という形でなされているけれども、それだけでは社会にとって不都合が生じるので、政治は、これを再配分する。

政治そのものは、直接的には価値を生み出すものではなく、人々から価値を集めて、それを再配分するだけです。具体的には、税金を集めて、集まったお金を「公共のために」、軍事・警察・厚生・教育・公共投資などに使う。

そして、配分する力を持っている人が権力者です。

一般的には権力者には逆らわないほうがいいです。権力者のご機嫌をそこねて、配分がなくなったり、減らされたりしたら損ですから。ご機嫌をとって、少しでも配分してもらったほうがいい。

権力者にあえてもの申す人がいないわけではない。しかし、権力者が言うことを聞いてくれなければ、そういう人たちは、ものをいわなくなるでしょう。とりわけ、権力者が強圧的な場合は。

結局、権力者の周りには、彼の耳障りのいいことを言う人しかいなくなり、正確な情報が権力者に届かなくなる。正しい情報なしで正しい政治ができるわけがない。

そして、彼のご機嫌を取る人たちへの価値の配分を厚くし、厚く配分してもらった人たちは、権力者の無理を通してやることになり、おたがいに貸し借りの関係が出来上がる。権力者と取り巻きとは、利益共同体かつ運命共同体となる。

ここまでくると、権力者が自分の過ちに気づいたとしてももう遅い。政治を変えようとしたとたんに、取り巻きによって権力の座をおわれてしまう。

配分に不平等が生じ、民衆の不満が鬱積する。権力者と取り巻きは、自らの既得権を守るために力で弾圧する。民衆には失うものがない(なにしろ、配分が少ないから、当然そうなる)から、公然と抵抗する。最後に収拾がつかなくなって、政権が崩壊する。

長い間権力の座にいるものは、彼がよほどこのことに気をつけて、自らの耳ざわりなことを聞くようにしていないと、こういうことになる。石原慎太郎は多分このことを知らない。

都庁内ではいま、これに似たことが起こっている、多分。


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