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石原慎太郎いわく、
米紙ロサンゼルス・タイムズ2001年3月12日に掲載されたダボスでのインタビュー
「北朝鮮のミサイルが日本に当たれば、長い目で見て良いことだろうと思った。日本は外界から刺激を受けない限り、目覚めない国だからだ。特に北朝鮮のミサイルが核、生物弾頭を搭載するとなれば、日本がいかに無防備か理解するだろう」
2001年5月28日、東京電力柏崎刈羽原発のブルサーマル計画への賛否をめぐって新渇県刈羽村で5月27日に行われた住民投票で反対が過半数を占めた住民投票の結果を受けて
「一部の反体制の人たちがたきつけて、日本をぶっこわしちゃおうということだ」
(プルサーマル計画に反対する声が出ていることについて)「わけの分からない理屈だ」
「日本の原子力発電所の管理体制は世界で一番」「東京湾に造ったっていいくらい日本の原発は安全だ」
石原慎太郎の真意がわかるように、長めに引用しましたが、ここでも、問題にしたいのは、真意ではありません。
いくら「長い目でみて良いこと」だからといって、「北朝鮮のミサイルが日本に当たれば」とはひどいんじゃありませんか?当たれば当然死傷者が出ますよね。それでもいいというのでしょうか。それとも、当っても死傷者はでない、と思っているのでしょうか。ミサイルが自分を狙ってこない、と確信しているのでしょうか。
いくら「日本の原発は安全」だからといって、万が一のことを考えれば、人口密集地帯の東京に原発をつくれるはずがないじゃないですか。原発が、我々が思っていたほど安全ではなかったことは、事実が証明しましたが、それでも、安全面には充分(といって悪ければ、相当に)注意を払っていたはず。それでも、万一のことを考えて、いわゆる過疎地に建設されたのです。
このあたり、隠居には理解しかねます。このひと、本気でそういっているのでしょうか。被害が出てもしかたない、と思っているのでしょうか。あるいは本音では、実際にはそんなことは起きないと思いつつ、放言しているのでしょうか。
隠居はすでに、「天罰発言」は、その真意がなんであれ、被災者に対する冷たさがなければ、ああいう発言はありえないはず、といいました(「ご挨拶」)。また、中国・北朝鮮と戦争をしてもいい、といっていますが、これも、戦いで死傷者が出る(つまり被害者が出る)のは覚悟している、ということでしょう。石原慎太郎は被害者に対しては冷たいです。ということは、そのことが起きる可能性はあまりない、と本音では思っていたとしても、やっぱり、万一の場合は被害が出てもしかたない、と思っているのでしょう。
隠居は、この被害者(被災者・犠牲者)に対する冷たさが気になります。隠居は、自分が被害者になることもありうる、と考えると、とてもこういう態度は取れません。
なんとなく、ですが、石原慎太郎は、自分は被害者になることはない、と思っているのでは、と思ってしまいます。「自分は常に健全で、強く、正しい。だから弱者・被害者になることはない。」と。
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